人への恵みが自分を救う
昔 お釈迦様がこれから托鉢※に出かけようとするお坊さんにこんなことを言われたそうです。(※修行しながらご飯やお金をもらいに行くこと)
「貧しいところを回りなさい」
そう言われたお坊さんはお金持ちではなく、貧しい人が多いインドのスラム街を歩き回ります。するとどうでしょう?
自分たちもろくに食べられないような貧しい人の一部が、スプーン一杯くらいのごはんを各々恵んでくれたのです。
そんなことを1か月くらい続けたら、ようやくお茶碗一杯くらいになりました。
お釈迦様はなぜお金持ちではなく、貧しいところを回るよう言ったのでしょうか?
ふつうはお金持ちを訪ねたほうがもらいは多くなると考えます。
お釈迦様の答えはこうです。
「貧しい人はもらうことばかり考える。それでは何も変わらない。人は人に恵むようになって初めて救われる」
私はこの話を聞いてまさに "いい得て妙" とひざを打ちました。
人は人と支え合って「人」と書きます。人の役に立って存在価値を見い出せます。ですからどんなに給料が安くても、給料の1%でも寄付や投資に回すことは世のため自分のために有効です。今では毎月100円から積立投資ができますし、Tポイントから投資もできます。コンビニのレジでおつりを寄付する習慣もいいと思います。
ですが、本記事で私が申し上げたいのは、じつは金銭面の話ではありません。精神面の話です。
あなたが辛く苦しいとき、それは決してあなただけではないという「発想」。あなたと同等かそれ以上に辛い目に遭っている人、苦しい目に遭っている人は世界中にたくさんいるという「事実」。
その人たちに思いを馳せ、あなたが今日を踏ん張ることで、その仲間たちに生きる希望を与えるのです。あなたが希望の光となり、仲間を支えるのです。
例えばあなたが人前でスピーチを頼まれ緊張が走ったとき、同じように緊張が走る人が世の中にごまんといます。その人たちはあなたの仲間で味方。その仲間のためにあなたがいると考え、あなたの心の視線がその仲間に向けられたとき、あなたは自分を放下(ほうげ)でき、その放下(ほうげ)がリラックスを生み、ニュートラルを生みます。
「人は人に恵むようになって初めて救われる」
精神面でもいっしょです。
人は人の役に立つことを考え、エネルギーが煥発(かんぱつ)されます。たとえそれが直接的・物理的な授受でなくても、精神世界だけでも、効果は同じ。逆に物理的な授受でも精神面に響かなければ意味がありません。
ではあなたがあなたの現実で頑張ったとき、それがどうして心の仲間の希望の光となるのか?
もちろん直接希望を与えられるわけでも、あなたの生きざまを誰かが見てくれるわけでもありません。しかしユング(ユング心理学の創始者)が提唱する深層心理学を信じ、献身的に心で祈ることで、結果的に自身にエネルギーが渙発されるということ。実際に私は何度とそれを実践し、都度 力と安堵感を得られます。現実に誰かの恵みにつながるかどうかは問題ではありません。大事なことは自分を放下(ほうげ)し、本来の自分に力が漲ることにあります。
ここでいう深層心理学とは「集合的無意識」を指します。「集合的無意識」とは表層から「意識」→「個人的無意識」→「集合的無意識」と順に深くなり、人それぞれの無意識は深層部ではみなつながっているという見方です。
ただ誰もその理論を物理的に確認したわけではないですし、私たちの身近でもありません。ただそうなっていることを信じ ぜひ "心の仲間の救いとなってほしい" "救いに繋がってほしい" そう祈るだけです。
私は常にそれを実践し、様々な習慣を支えてくれたり "ここぞ" という時に安堵をもたらしてくれます。
あなたの現実下におかれましても、物理的・金銭的な恵みに加え、精神的な恵みも取り入れらることをお勧めします。
「人は人に恵むようになって初めて救われる」
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。