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律には知を「ストア派哲学」

人生を創る秘訣は、おそらく次のことを実践できるかどうかで分かれます。

 

「自分でコントロールできることとできないことを明確に区別し感情を律せられるかどうか」

 

無論、感情を律せられる人が人生を創っていけます。

 

言葉で書くと簡単なことですが、「わかるとできる」は違います。誰だってダイエットの理論はわかってます。筋トレや運動の必要性もわかってます。しかしほとんどの人はわかってもできません。ですから上記の内容もわかったところで意味がありません。

 

ではなぜ私は書くのか?

 

それはまず上記のことをさまざまな著作に著わした人が誰なのか、から見ていきます。それは2017年に亡くなられた元上智大学名誉教授・渡部昇一さんです。渡部さんといえば歴史から人生論まで何百冊と上梓された方で、専門は英文学者。渡部さんの何が偉大かというと、専門外の博識が深いことです。専門の英語学が深くても、正直学者の域は出ません。ですが歴史や古典、人生論まで深いとなると、学者の域を超えた知の巨人に向かいます。すさまじい関心と理解力、またそれらのアウトプット力のすべてが圧巻です。

 

では渡部さんは「自分でコントロールできることとできないことの区別」をどう著わしているか。それが「知」です。

 

「知」を働かせることで、コントロールが容易になるというのです。これは斬新かつ有益なこと。感情をセーブできない理由は、「知」の働かせ方が甘かったからです。

 

もともと自分でコントロールできることとできないことの重要性を説いたのは、ストア派哲学の代表的人物・エピクテトスと言われます。時代は西暦50年ごろ。そのエピクテトスの重要性を焼きまわししたのが「幸福論」の著作で有名なカール・ヒルティ1833年~1909年)と言われます。そしてその思想・哲学の重要性を日本にもたらしたのが渡部さん。

 

「知」を働かせるとは、自分の人生に対しての信念を明確にするということ。例えば自分の信念に「人には負けていい、しかし自分には負けない」を置いたとします。その人は、人に負けることは明確にあきらめています。そのあきらめがストレスを回避し、自分のできることに向かわせます。これと同じことです。人の評価や言動はコントロールできません。起こったことはどうしようもないのです。まだ起こっていないことに着目し行動を考えることを「人生」というのです。

 

気持ちや感情の上下じたいはコントロールできませんが、「知」をもって切り替えることはできます。この切り替えに「知」が重要となります。「知」とは自分でコントロールできることとできないことに、明確に線を引く注意力のことです。

 

明日の天気予報は100%大雨だとします。私たちに天気はコントロールできません。しかし始終大雨を恨み、"なんでなんだ⁉"と嘆く人は本当に大勢います。バカみたいと思われるかもしれませんが、同じようなことをしている人がどれだけいるかです。そもそも人をコントロールできると思うこと自体が傲慢です。また「~すべき」「~すべし」と考えることもおこがましいこと。人には人の数だけバックグラウンドがあり先祖があります。何がどう作用してそうなっているかはわかりませんが、そんなことはどうでもいいのです。「人は人、人はコントロールできない」、これだけシンプルに理解しておけば知は瞬時に働かせられます。

 

私が最初にこのストア派哲学の考え方を知ったとき、何が一番斬新に感じたかというと、感情や気持ちより「知」が大事ということです。人が「今」を生きられないとき、往々にして感情が邪魔をしています。その感情をコントロールするのは、肉体的アプローチです。作業興奮といって体を動かしたり他のことに着手すれば、自然とその対象に気持ちも移るというもの。しかしその手前の概念・認識に「知」があれば、もはや肉体的アプローチすら不要となります。先の「人に負けることはどうでもいい、自分に負けないことが大事」の信念といっしょです。

 

「意志は感情に抗えない」と言いますが、このエピクテトスの哲学は感情の中身を変革させます。イラっとしたりムスッとするところを、させないのです。なぜなら「人の言動や考え、気持ちのあり方」はコントロール外と深く知っているからです。しかし言い返したり反論したりは有効です。それ自体は自分のコントロール内だからです。言い返したり反論することで、今後に黙らせられるかもしれません。そのときは感情的にならず、冷静に論理的に伝えることが肝要です。

 

結局気持ちの切り替えが上手な人が、人生を上手に生きられます。これは本当にそうです。そうなるためにも「知の働かせ」は必須です。ボクシングや格闘技をイメージしてみてください。打たれても冷静さを失わず戦略的な闘いを続けられる人をどう思いますか?冷静ということは自分を見失っていないということ。自分を見失っていないということは自分をコントロール内におさめ、その最大限に努めているということ。つまりは、自分との戦いだったのです。

 

律には知を「ストア派哲学」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。