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なぜ「語彙力」なのか?

本日も酒井譲さんの著書「21世紀の生き方」からお届けします。

 

数年前から「語彙力」という言葉を見聞きするようになりました。あなたもどこかけお見掛けしたことがあるかもしれません。書店に行けばそれらしいタイトルの書籍もけっこう並んでいます。

 

しかし私は特に気にすることなく、以降を過ごしました。しかし今回紹介する酒井譲さん著「21世紀の生き方」を読んで以降、語彙力の必要性をそれなりに意識するようになりました。なぜならその本には「なぜ語彙力が必要なのか?」が簡潔に明快に書かれていたからです。

 

その部分を読むと、語彙力の欠如は、人間の感情から来る感性や機微をも欠如させることがわかります。感性や機微が欠如すれば、人間の特性である思考や感情の豊かさを欠如させ、それが人間関係における構築に支障を及ぼします。営業職だけでなく、プライベートや子育て等にも関係します。

 

ではさっそく「語彙力」の必要性がわかる箇所を同書から抜粋します。ちなみに以下は酒井さんの言葉ではなく、酒井さんが国語科教育学者である香西秀信さんの言葉を引用した形です。つまりは香西さんのお言葉(考え方)ということです。

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もしわれわれが豊富な言葉のストックをもたなければ、われわれは豊富な思考をもつこともできない。これを確かめたければ、試みに、不慣れな外国語で誰かと会話してみるといい。考えたことを言葉にしようと四苦八苦しているうちに、いつしか言葉にできることを考えるようになってしまった自分自身に気づくだろう。言葉が思考に限定をかけてしまうのである。

 

これは外国語の例だが、母国語においても本質的な事情は同じである。そしてこれは思考だけに限ったことではない。例えば、自分の不快な感情を表現するのに「むかつく」という言葉しか持っていない子供は、複雑な感情を単純な言葉でしか表現できないのではない。「むかつく」という感情しかもてないのである。複雑で微妙な表現のできない人間に、複雑で微妙な思考も感情もありはしない。

 

香西秀信(国語科教育学者)

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いかがでしょうか?

 

語彙力の本質がおわかりいただけたのではないでしょうか。

 

語彙力は自分の微妙な感情や気持ちを、語彙のレパートリーに則して相手に表すことができるという意味にとどまりません。なんと語彙のレパートリーに則した感情や気持ちしかもてなくなってしまうと言うのです。

 

私の職場は保険のアフターフォローや営業を行うコールセンターです。そこには何十人とオペレーターが所属し、日々お客さんとお話しをするわけですが、確かに特定のオペレーターは、お客さんを褒める語彙に"すばらしい"しか持ち合わせていない人も見受けます。

 

その人を例にとって考えてみます。

お客さんに使った"すばらしい"という言葉を分解すれば、次のようなニュアンスになるかもしれません。

 

・それはご安心ですね

・それは心強いですね

・それは頼もしいですね

・それはご賢明ですね

 

実際は会話を聴いてみないとわかりませんが、お客さんがもつ微妙な感情や気持ちを、おおざっぱに"すばらしい"としか表現できないのは、なんとも稚拙であり、お客さんとしてはそのオペレーターを「適当な人」と見るかもしれません。

 

そしてなによりオペレーター自身が、細分化された(微妙な)気持ちを"すばらしい"としか認識できないことは、「感情の生き物」としての人間的豊かさを欠如させます。

 

別のケースも見てみます。

例えばお客さんでも上司でもかまいません。あなたが何かで注意を受けたとします。そのときに「申し訳ございませんでした」という語彙しかもたなければ、あなたの気持ちも「申し訳ございませんでした」となります。

 

しかし「ありがとう」という語彙も持ち合わせれば、「貴重なご意見ありがとうございました」や「ご指導いただき、ありがとうございました」と少し前向きになります。

 

前回の記事でも「受信(解凍)が先で、発信(圧縮)が後」と申し上げましたが、コミュニケーションにおいても同様です。語彙力を持たない人は語彙が限られるため、おおざっぱにしか受信できず、それゆえおおざっぱにしか思考できず、やはり発信もおおざっぱになります。

 

「人間は考える葦である」と言ったのはパスカル(フランスの哲学者・数学者)ですが、語彙力を持たなければ、香西さんが言われるように複雑で微妙な思考を持つことができず、人間の特性である思考を巡らせることができません。

 

なぜ「語彙力」なのか?

 

「人間は考える葦」だから。

それが一つの答えでしょう。

 

語彙のレパートリーに合わせて感情や気持ちを受信でき、それらを材料に複雑で微妙な思考を巡らせます。そこから想像力が生まれ、相手が喜ぶであろう語彙を選択でき、それが的確な表現(想像物・創造物)となります。

 

繰り返しになりますが、「受信があって発信」ですから、語彙力はまず受信を経ることになり、受信だけでも人間の感情を豊かに彩ります。それがたとえマイナス面でもです。先の"むかつく"で言えば、「イラつく、ムッとする、頭にくる、癪に障る、腹立たしい、不愉快、胸糞悪い、面白くない、感じ悪い・・」などさまざまに変換できます。その変換力が語彙力で、感情を彩り、思考や想像の材料となります。

 

また発信においても語彙力がアウトプットの質を決めることは、言うまでもありません。

 

繰り返しになりますが、語彙を受信のフィルターとし、思考や感情を巡らすことで、想像物(想像物)が生み出せます。その想像物は複雑で微妙な思考や感情がなければ生み出せない代物で、それを可能とするのが「語彙力」ということです。

 

最後に「語彙力」は言語機能の根幹をなすため、できれば8歳~10歳をピークにインプットするのがもっとも効果的だったことでしょう。しかし私たち大人になってからでも決して遅くないことは前回の記事で申し上げたとおりです。ついては、今からでも少しずつ「語彙力」を意識した生活をされてみてはいかがでしょうか。 私もまだまだですが、同書を読んで以降は、何気ない会話や日常で見聞きするワードに敏感になったと思います。

 

「人間は考える葦である」

by パスカル(フランスの哲学者・数学者)

 

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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