「間」に何を入れるか
小林正観さんは斎灯マサルさんとの共著「正観さんのしあわせ絵言葉」で、次のように言われます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人と人の「間」を、どんな感情でみたすのか。
器の中に、醤油を入れれば醤油入れ。ソースを入れればソース入れ。お金を入れれば小銭入れ。花を活ければ花瓶になります。
「空間」に何を入れるかで存在理由が変わってきます。
あなたは、人と人の間に、どんな感情を注いでいきますか? そこに注いでいく感情が、あなたという人間そのものになるのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とてもおもしろい発想です。
人間は「人と人との間」と書きます。その間にどんな感情を注ぐのか、それが「人間」を決めるというのです。「人間」を決めるとは、「その人がしあわせであるかどうか」を決めると言いかえられます。
しかし「間」を挟むのは「人」に限りません。空間を成り立たせるのは物体もしかり。ですので、「人」と「物体」の「間」もおざなりにできないということになります。物体も固有の振動数をもっており、常に振動をつづけるからです。
人や物体に投げかけた感情が反作用のごとく空気に振動し続けると考えた場合、人間がその場に入った瞬間の "なんとなく〇〇" という感覚はあながち理解できます。
そこでその場の空間(空気)や自分の感情をできる限りしあわせなものにするために、正観さんが言われるような、まずもっての意識が大切ですが、人間は万能ではありません。嫌なことや不快なことも出てきます。
そこで私から助言させていただくならば、やはり"「距離間」をコントロールする"ということが重要に思います。以前の記事でもプロ総合格闘家の青木真也さんの著書「距離思考」でお届け済みですが、マクドナルド創業者の藤田田さんも同様のことを言われていますので、本日は藤田さんの言葉でお送りします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
車を運転する場合、前車のオカマを掘らないためには、十分に車間距離をとる必要がある。それと同様に、人間(じんかん)距離も十分にとったほうがいい。
女房がつまらなくなるのも、全部知ってしまうからだ。
一緒に旅行をするとまでいかなくても、あまり、社長には密着しないほうがいい。私も、たまに、日曜日などに、社員とどこかへ遊びに行こうか、と出かけることがある。その社員が、気をきかせて車を持ってきたりすると、うしろからついていくことになる。
ところが、そのうちに、運転の仕方がヘタだ、とか、信号の止まり方がなっていない、とか、欠点が目につき、ついには、あんな運転をする奴では死語ともできないに決まっている、ときびしい目を向けてしまうものだ。
人間というのは、隠しているところがあるからいいのであって、全部みせたらダメである。
社長と部下との関係にこだわらず、何日も毎日24時間一緒にいたら、そのうちに顔をみるのもいやになるはずだ。人間関係は、クエスチョンマークというか、どこか神秘的なところを残しておいたほうが、うまくいくようだ。
そのためにも、距離をおくことが大切である。
(藤田田著「金持ちだけが持つ超発想」より抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当人の会話のテクニック(コミュニケーション力)を磨くのも大事ですが、あまり効果が感じられない人もいると思います。そんな人は「距離間」を意識してみるといいと思います。
よく"共通の話題が会話のキャッチボールを可能とする"と言われますが、実際にその通りでしょう。であるならば、自分が興味のあるコミュニティに参加することが自然(得策)であり、共通の興味がないところでジタバタすることはナンセンスに思います。
職場であれば「仕事」が共通の話題であるから、普通(自然)に会話が成立するのです。何も共通の話題がないところでキャッチボールをしようとするのは、特定の人の領域です。
そんな感じで大枠として共通の話題(興味)を求め、小枠で距離間を測ることで、自然と(人と人との)「間」に楽しいことや嬉しいことが入れられるようになるのではないでしょうか。
自分を無理に変えようとするのではなく、自分は比較的そのままに、「興味対象」と「距離間」で「間」に入れる感情をコントロールしていく、そんな姿勢が楽に生きられると思います。
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。