心の戦士!~心が前向きになる言葉~

どんなときでも心を晴れやかに!→ 心の戦士いざ参上!

「嫌い」について

先日私は中野信子さん著『「嫌いっ!」の運用』(2020年12月発売)を読みました。脳科学者の見地からさまざまなに語られていて、私が近年抱いていた気持ちを認めてくれた気がしました。

 

「嫌い」に関して、あなたはこれまで何かしらを考えたことがあるでしょうか? 数年前までの私はなんとなくあまり抱いてはいけない感情をもっていました。理由は単純、抱けば抱くほどストレスになるからです。ということは、"抱かなければいい"となりますが、話はそう単純ではありません、理性で押し殺そうとしても、やはり感情が上回ってしまうからです。

 

そんな葛藤が私の(数年前までは)靄(もや)をつくっていましたが、中野さんは「嫌い」の感情は運用するもので、自分のエネルギーをすり減らしてはいけないと助言されています。例えば「負けず嫌い」。負けず嫌いは、嫉妬や"やきもち"を自分の成長にエネルギー化できます。"〇〇さんにどうしても勝ちたい!"というエネルギーは、"嫉妬"や"やきもち"が生んでくれたものです。それを大事に自己成長に転化します。

 

単純に、何かしらの理由で "上司が嫌い"、"同僚が嫌い"という場合はどうでしょう? 中野さんは相手にアドバイスを求めて、相手の社会的欲求を満たすことを一例に挙げています。どういうことかというと、あなたはAさんを嫌いとします。あなたがAさんにアドバイスを請い、Aさんはそれなりの返答をします。その返答やアドバイスで、Aさんの自己承認欲求が満たされ、もうあなたに攻撃しようと思う気持ちが削がれることを言われます。

 

この社会的欲求は生存本能である食欲や性欲より強いみたいで、確かに仲の悪かった人たちが、ひょうんなことから仲が良くなるケースがあり、それらは互いの言葉の中で、どちらかの社会的欲求が満たされたことが原因かもしれません。

 

また中野さんは相手を自分に依存させることも解消の一つと言われます。ホストやホステスが取る手法ですが、嫌いな相手をあえて褒めることで、相手の自己評価を満たし、繰り返すごとに相手はあなたに依存します。なぜ依存するかというと、人を攻撃する人は往々にして自己評価が低いからだそうです。しかしどうでしょう? 実情、嫌いな相手を面と向かって褒められるかというとやや難関な気がし、荒行と言えば荒行です。

 

そこで本日は私の近年の経験から、私が実際にやって有効と思うことを一つ申しあげます。それは「宇宙とつながる力の結晶」です。

 

職場で嫌いな人がいるとしましょう。あなたが職場に行く最大の理由は何でしょうか? おそらく生活費を稼ぐためだと思います。また仕事のやりがいを求めてかもしれません。そこを思い出します。「職場の人間関係を良好にしなければよろしくない」と、くれぐれも思わないことです。あなた以外の人が人間関係を楽しく泳いでいても、人は人です、あなたは人間関係に亀裂を走らせてもかまわないと独自の道を行きます。なぜなら「生活費をもらえればいい」からです。仕事など人生においてその程度と割り切ることもときに重要です。

 

その観点からつなげると、「ワン・オブ・ゼム」という言葉も有効です。仕事ですら人生のジャンルの一つに過ぎないのに、その中の特定の人に気や時間を使うのは、神や仏、両親に失礼というものです。この世に生を授けてくれたのは両親です。両親を生んでくれたのはご先祖です。水や空気を提供してくれるのは自然です。

 

この世で一番大事なものは、人のです。あなたの命を足らしめるそれらに焦点を当て、けっして目を反らさないこと。絶大なる感謝をささげ、ちょっとやそっとでは負けない自分を誓い、宇宙と自分はつながっているという感覚をもちます。宇宙規模の視点に立てば、自分の人生すら小さくなります。宇宙の営みが自然をつくり、私たちの根っこは宇宙です。

 

昭和の哲人と称されたヨーガの哲学者・中村天風氏は、「人間は力の結晶である」という誦句を残されています。なぜ「力の結晶」なのかというと、私たちは宇宙とつながっていて、つながっているから呼吸ができ生命を宿らせています。

 

中野さんは同書の最後で次のことを書かれています。

「意志というものはもろいものです。意志を信用し、意志の力を鍛えるよりも、嫌だという気持ちとの付き合い方を身につけるほうが、自分の弱さを、生き延びる強さに変える有意義な方法と言えるのです。」

 

つまり「嫌い」という感情に抗うな、ということです。私的に言えば「嫌い」は「嫌い」のままでよく、自分は宇宙とつながる「力の結晶」で、それに恥じない今日を生きることが自分の本質と思っています。

 

「嫌い」について

 

中野さんは自分の成長や課題解決に上手に活かすことを勧められていますが、私的に言えば(嫌いという感情は)「どうでもいい」です。「嫌い」という感情は、雲のように視界を右から左(左から右)に流れるだけで、雲が自然をつくっているわけではありません。

 

雲だけでなく、水や空気、太陽をつくっているもっとも根源的なもの、それが宇宙という名の「氣」です。それを前にして一つの感情にとらわれるのは、あまりにも自分を小さく見積もり過ぎです。もっとどっしりと構え「力の結晶」と自覚して二度と還らない今日を大事に生きましょう。その気持ち(姿勢)が、「嫌い」を相対的に小さくし、あるがままに受け流してくれる秘訣に思います。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうござました。