「"許す"ことは"譲る"こと」
私は昨日、「嫌いについて」という題目で私見を述べました。いかがでしたでしょうか。本日はその続きというか、捕捉をお話します。
私がストレスを感じたときに、真っ先にすること。それは私が『宇宙とつながっている「力の結晶」』であることを自覚することであるということはお話ししました。だからちょっとやそっとで挫けるわけにはいかないし、自然やご先祖、両親に申し訳ないという気持ちを持つということも・・・。
実はその思考プロセスの中で自然と頭に思い浮かぶ言葉があります。この言葉をいつからかに知ったことで本当に心が楽になりました。それが次です。
「終身路を譲るも、百歩を枉(ま)げず」
by 新唐書
意味は「生涯道を譲る生き方をしても、百歩にもならないものです」です。『新唐書』(しんとうじょ)は、中国の唐代の正史のことですが、ルーツはともかく掃除道を生きていらっしゃる鍵山秀三郎さんが著書で何度か紹介された言葉です。
鍵山さんはカー用品販売の大手「イエローハット」の創業者です。50年以上も前から社長にもかかわらずトイレ掃除や近所の掃除を続けられ、それでも社員から認められない日々がつづき、そんな中でも、取引先ともうまくいかないときもたびたびだったとか。
そんな辛酸を舐めるたびに上記の言葉を噛みしめ、さまざまなことを譲ってきたそうです。鍵山さんは自分よりも人様を大事にする生き方をされるため、掃除も「そこを通る人が少しでも心が荒まないように」と思ってのこと、頭が上がらないというか、到底真似できない生き方です。
しかし真似はきないまでも、少しでも近づこうと頑張ることはできます。それがストレスを感じたときに(ま、いいかと)受け流すという業(わざ)です。自分からトイレや近所を掃除できないまでも、自分の身に起こったことくらいは掃除をさせていただきたい、そんな気持ちで私はこの言葉を実行しています。
「終身路を譲るも、百歩を枉(ま)げず」(生涯道を譲る生き方をしても、百歩にもならない)
譲るとは許すことと同義です。何のいわれもなく、心ない言葉を浴びせられても、すっとかわす感じでいなせばいいのです。そうやって許す生き方を終身にしても、100歩を超えることはなく、100歩以内の差でしかありません。それでいて、その差は逆に生きた勲章と返ってくるかもしれません。
人は許した数だけ大きくなれます。それほど人を許すことができない人が多く、毎日起こる暗いニュースはそんなことからきていると思います。だけれでも、この言葉を知れば、けっして許すことは自分に不利なことではなく、逆に有利であることに気づきます。なぜか?
人を許すことは、許される側としては自己承認欲求が満たされ、許す偉大さを前にするからです。それでいて許すほうも高速道路の出口ではないですが、間隙を縫って走り抜く車とゴールの時間は相違ありません。それが100歩以内という意味です。逆に100歩を超えてもいいというのが実際です。どうぞお先にお通り下さいといった感じです。
車の運転は運転中も楽しく時間を過ごしたいもの、人に道を譲ることは自分の楽しい時間を確保することになります。それを対向したり同じように間隙を縫う走行をすることは、「あなたの楽しい時間はどこに行ったんですか?」と聞きたくなる行為です。ここでも「人は人、自分は自分」で、それを見事に言い換えてくれているのが「終身路を譲るも、百歩を枉(ま)げず」です。
人は自分を許してくれた人に心を許します。それをベースに生きることは、私たちにさまざまな可能性を生んでくれます。物事の成就は人の協力なくして結実しません。自分が協力を仰ぎたいときに、"あのとき譲って(許して)よかった"と思えるシーンはきっとあります。そんなことを想い、今を耐え忍ぶことも生きる醍醐味ではないでしょうか。
最後に前回の話に戻りますが、自然と「終身路を譲るも、百歩を枉(ま)げず」を実践するには、やはり小さな思考(イメージ)では叶いません。大きな思考(イメージ)が目の前の事象を(相対的に)小さくするわけで、「宇宙の氣との一体感」がそれを担います。宇宙の氣は「真・善・美」の方に流れると言われます。人を許すことは「真・善・美」の「善」に当たります。そう思えば、人を許すたびにどんどん宇宙の氣が自分の氣に流入してくると思いませんか?
「許すことは譲ること」
「終身路を譲るも、百歩を枉(ま)げず」(生涯道を譲る生き方をしても、百歩にもならない)
by 新唐書
ただし鍵山さんも仰っているように、譲れない一線は持ってください。あなたの大事な人に危害が及ぶケースや、周りに悪影響が及ぶケースなどです。無論、自分も助けないといけない存在ですから、今後のために注意をした方がいい場合は、相手の立場に立って注意をし、それでいてきちんと相手を許すのです。それが一番あなたの楽しい時間を確保できる偉大な生き方だと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。