今を不幸と感じる方へpart1
作家の曽野綾子さんは「安心して暮らせる社会はない」「安心して暮らせる社会は存在しない」と言われます。
その理由を探ってみます。
彼女は次のように言われます。
「アフリカ北東部の国 ジブチ。2013年6月のある日 気温は摂氏57度。日本とはレベルが違う。辺りは荒れ野で水道や電気が通っていない地域もある。アフリカはどこも自然が厳しく生活も厳しい。キリスト教の生まれた近東も厳しい。それに比べ日本は真綿に包まれたお坊ちゃん、お嬢ちゃんばかりになり、国民も政治家も安心して暮らせる社会を!なんて合唱している。とんでもない発想。安心して暮らせる社会など存在しないことを自覚し、そこから物事を考えていかないといけない」
自然に安心という状態はなく、常に変化しながら流れます。その中で人間だけが安心・安全などという保障を担保できるのか?できるわけないよね。ということだと思います。
ですから私はあなたが今辛かったり疲れているとしたら、ぜひ申し上げたい。
「それが自然です」と。
仏教でも四苦八苦といい「苦」がベースとなっています。キリスト教も言葉はわかりませんが「厳しさ」がベースとなっています。そこに宗教が生まれた理由がありそうですが、宗教はともかく私たち人間は自然に習わないといけません。
あなたの辛さは、他の人が楽しく幸せそうな状態と思っての比較から生じていると思います。その笑顔の内側(内面)まではわからないのに・・です。
私の座右の銘の一つに「雨は全員に降り注ぐ」というものがあります。雨は人を選ばないということ。ですからあなたの今の状態を雨とすると、みな同じような体験はするということ。しかしここからが人間の特性です。雨に対する受け止め方は選べます。恵みの雨とはよく言ったものです。この選べるという点にフォーカスしたのもまた宗教です。
聖書のことば
「貧しい人々は幸いである。神の国はあなた方のものである。今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる。今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も預言者たちに同じことをしたのである」(新約聖書 ルカによる福音書6章より一部抜粋)
私は無宗教なので、キリスト教のことはよくわかりませんが、上記は「不幸は幸の入り口」ということを言わんとしているのだと思います。一見不幸そうに見えても、その瞬間 だけ切り取って幸・不幸を決めるな、そういう早計な判断は愚者のすることで、賢者は長期で鑑みると。
天気でいえば、今雨が降っていようと、すべての天気、明日の天気も雨と思うな!ということです。
雨の日は雨の過ごし方があり、逆に雨の日しかできないこともあるでしょう。今のあなたをしっかり受け止め、今のあなたでしかできないことを実践してみてください。その態度・実践こそ 紛れもなくあなたの人生を決めます。
次回は今回の続きをお送りします。
引用・参考文献