「成長」に投資する生き方2
前回の「成長に乗る生き方1」の続きです。
数多(あまた)ある個別株の中で成長株を選定できる人はごくわずかです。それを生業(なりわい)とする人や勉強に励まれているなど、一部の人だけです。そこで投資においては「投資信託」という商品があります。
「投資信託」は専門のファンドマネージャーが投資家から集った投資資金を運用する形ですが、投資信託にもサラリーマンの寄せ集めでプロ意識に欠ける会社もあれば、そうでない会社もあります。
ですのでひとえに「投資信託」といっても最低限 虎の子の資金を託せられるだけの会社(ファンド)なのかを選定する必要はあります。ただこの投資信託の選定は個別株の選定よりはるかに容易ということで、投資信託は投資の初心者向きと言わます。
しかし本記事「成長に投資する生き方2」は、投資についての話ではありません。前回紹介した藤野さんの言葉 "これから伸びるであろう企業の成長を信じることが最も安全でリスクが低い" を私なりに深堀りする話です。
私はそもそも投資や挑戦というものは、利益を得るためでないというのが前提としてあります。利益というのは前回も申しあげた通り誰かの役に立った結果としての "おこぼれ" なわけで、第一義は「人のため(社会貢献)」が立ちます。
今回もまた「お金」を例にとると、手元の3万円を銀行に預けるとして、銀行はその3万円で何をするのでしょうか? おそらく国債の引き受けや担保を敷いた融資等でしょう。その結果はどうでしょう? そうです、0,1%を割る利率です。
誰かの役に立った "おこぼれ" が利益と考えるならば、たかだか0,1%の見返りというのは、それだけの使い道しかしていないということです。今後成長が見込めそうな会社や団体があっても、担保がないというだけで融資を断ることや、担保があるというだけで公害を垂れ流す企業にお金が回ることもないとは言い切れません。
国債もしかりで、銀行や機関投資家が引き受けるから一向に税の無駄遣いが止まらないともいえます。
自分が汗水流して得たお金を人や社会の成長に寄与できれば、その恩恵は巡り巡って自分ひいては子々孫々に返るわけで、そこには汗水流した甲斐が感じられるところではないでしょうか? そう、夢や希望、ロマンです。
成長とはつまるところ夢や希望、ロマンであり、そこに幸せの要素がふんだんに含まれます。例えば目の前に素敵な人がいた場合、自己成長に投資するならアタック一択ですが、安全牌を取るなら引く選択も起こりえます。
何かの趣味やコミュニティの参加もしかりで、自己成長を考えるなら参加一択ですが、安全牌を取るなら尻込みや先延ばしも起こりえます。
この安全牌は手元の3万円を預貯金に回すのと同様、得られる感情は「つまらない」です。この「つまらない」のもっとも怖いことは、「つまらない」に慣れてしまうことです。すなわち「つまらない」状態が通常の状態になるため、以後成長を感じられる対象と出会っても、「つまらない」ことに恐怖がないため、失敗やリスクを被る可能性を避けることだけが目的になります。つまり「つまらない」が「つまらない」を呼ぶ状態。
それに反し成長に投資する生き方は、結果による一喜一憂はあれど、成長に投資したという経験や体験、自負はまぎれもなく字の通り「成長」と刻まれます。そして大方は次の「成長」を呼ぶ原因に転化します。
すなわち「つまらない」と「成長」の格差がどんどんと広がるのが実際で、それは生き方やしあわせを如実に表します。「成長」は夢や希望、ロマンなのですから。
ということは「しあわせ」という観点からしても "成長に乗ることが最も安全でリスクが低い" ということが言えると思います
繰り返します。
目の前に成長性が感じられる "対象"(素敵な人や、興味のあるコミュニティ等)があるならば、そこに投資する生き方が "しあわせ" 面からも最も安全でリスクが低いということ。短期で見れば目も当てられないくらいの悔しさや情けなさ等 様々あるかもしれませんが、半沢直樹の倍返しよろしく逆転劇へのエナジーもそのときに「成長」に投資しなければ得られなかった感情です。
お金も時間も身体も、「私」を構成するすべてを「成長」に投資する生き方が夢や希望、ロマンを抱ける生き方で イコール「しあわせ」な生き方であると私は思います。そのためにも常に「成長」へのアンテナは張り巡らしておくことが肝要です。
以上が藤野さんの言葉を深堀りした私の考えですが、あなたはいかがお感じになりますか?
「これから伸びるであろう企業の成長を信じることが最も安全でリスクが低い」
by 藤野英人(レオス・キャピタルワークス代表)
「ゲームに参加しないリスクは、参加するリスクよりもはるかに大きい」
by ウォーレン・バフェット(投資の神様)
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引用・参考文献