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「浪費」をやめる方法

あなたは浪費をしたことがありますか? 浪費に悩んだことはありますか? もしかしたら現在進行形という人もいるかもしれません。もしそうでしたらぜひ本記事を参考にしてみてください。

 

前回からお届けしている藤野英人さん著「投資家みたいに生きろ」に浪費に関しての記述もありましたので、下記に抜粋します。

 

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『私たち人間には、孤独を埋めるために商品やサービスに思わずお金や時間を使ってしまう弱さがあります。浪費的な行動の裏には、人間的な弱さが隠れているのです。それに打ち勝つためには「浪費にはリターンが生まれないこと」をちゃんと理解し、投資の要素を意識することが必要です』

 

『たとえば、なんとなくお金を使ってしまいそうなとき、「これは孤独を埋めようとしているだけなのかな」と思い返してみてください。たったそれだけでも、無意識のうちにしていた浪費行動は減ることでしょう』

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「浪費」について、私たちがまず認識すべきは、背後に「孤独」が存在するということ。孤独を埋めるために浪費に走るという構造です。それを知ってか知らずか、街中のあらゆるお店、商品は孤独を埋めるために存在するといっても過言ではなく、その代表例が(よく言われることですが)コンビニを始めとした深夜営業です。

 

日中は大方仕事をするため、あまり孤独を感じませんが、夜はその反動からか、孤独を感じやすくなります。そこに明々と照明が照らされ、誘惑の多い商品が並べられれば、人は釣られて入ってしまい、釣られて買ってしまいます。休日のパチンコなども同様でしょう。

  

ではどうしたら浪費を回避できるか?

 

藤野さんのおっしゃる通り「孤独を埋めるために浪費に走る」という構造を毎回認識することです。そうすれば都度都度冷静になれて、"だったら意味がない" "だったら止めておこう" と改められるかもしれません。宝くじの"しくみ"を知らなかった人が、実は胴元の取り分が52%であることを知った途端に止めることができる感じです。

 

しかし "わかっていてもできない"  という人の方の方が多いでしょう。その場合はどうしたらいいか?

 

私はこう考えます。

 

「孤独は埋められない」

 

この覚悟がすべてを切り捨てます。この無頼の精神こそ「人間」の生きざまで「人間」の見せ所と意欲を燃やします。店に煌々と照らされる照明よりも、何倍も赤々と意欲の炎をたぎらせるのです。

 

そして今まで浪費していた場所(お店等)に近づかないことです。例えば自宅近くのコンビニが浪費先だった場合は、そのコンビニに行かないこと。行った時点でアウトだと思ってください。誘惑を目にした途端によほどの人でない限り意識でそれを抗うことはできません。「君子危うきに近寄らず」ではないですが、1ミリも近づかないことが浪費をやめる方法としてはマスト(必須)です。

 

ここまでが浪費をやめる方法としての、私の考えです。まとめます。「孤独は埋められない」と覚悟し、無頼の精神を高ぶらせます。

 

次に浪費行動がなくなれば、その分だけ時間が浮くと考えます。その浮いた時間に何かにのめり込めれば浪費の治し方として最適です。私も先述で"意欲を燃やす"とか"意欲の炎をたぎらせる"と表しました。どんな意欲が適するか?

 

それは「創作意欲」と体験談を語られる方がいます。下記の記事をご参照ください。

 

浪費家から一転!物欲が劇的になくなった、たった一つの習慣方法 |

 

記事には「創作意欲」こそ物欲を感じさせない能動性を煥発してくれると書かれます。創作活動といっても多岐にわたりますが、そのライターはブログ発信やコミュニティ運営がそれだったとのこと。

 

何を隠そう、実は私も過食症と診断されてもおかしくないほど、数年前までは夜に浪費(過食)を重ねていました。私は独身で一人暮らしのため、まずスーパーでお惣菜をたんまり購入し、それを自宅で平らげると、第2ラウンドと言わんばかりにまた近くのコンビニでスウィーツ類を1000円以上購入、テレビや映画を見ながらもぐもぐタイムです。間違いなく夜だけで1日2000円以上は使っており、もちろん貯金も0円でした。

 

そんな浪費生活にピリオドを打つべく、荒業を決意。それが「休日もアルバイトをする」でした。強制的に仕事をせざるを得ない状況を作れば、夜の過食は抑えられると思ったのです。一応これは成功し、休日の前夜だけでなく、ほぼ毎日に以前ほどの過食はおさえられるようになりました。

 

そして休日のアルバイト代や過食に浪費しなくなったお金を投資に回すことにし、そのころからでしょうか、投資信託や金融リテラシーのイロハを勉強し始めたと記憶します。私にとって投資をすることや投資の勉強が、記事で言う「創作」や「創作意欲」だったのかもしれません。

 

繰り返します。

浪費で孤独は埋まりません。一時(いっとき)は快楽でごまかせても、深層にはとどかず、そのギャップにまた一時の快楽を求めます。この繰り返しはお金の浪費にとどまらず、時間の浪費が計り知れません。毎度申しているように、浪費に明け暮れなければできたであろう "何か" をスポイルする機会損失こそ最大の後悔を生みます。

 

そして一時の快楽を求めるスパイラルは、もはやスパイラルが主で当人が従の関係、すなわち時間(人生)をコントロールするどころか、コントロールされる側に成り下がります。

 

孤独は埋まらないのであれば、その孤独を真正面から受け止め、受け入れ、自分の興味のある分野に創作意欲を燃やします。創作の堅苦しい意味や概念は置いておき、自分だけに備わる「心」を大事に、素直に喜ばせるだけでいいのです。お金に換金できるか否か等の下心も無粋です。真の芸術家は岡本太郎よろしく、自分を全力で表現しにいくだけです。

 

自分が孤独であることを真正面から受け止め 受け入れられたときに、人や社会への心は開かれます。そこでようやく開かれた分だけ孤独が癒されるような気がするのですが、あなたはいかが思われますか?

 

「浪費」をやめる方法

孤独を受け入れ、創作意欲を燃やし、創作活動に打ち込む。

一例ですが、有効のように思います。

 

 本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

参考記事

浪費家から一転!物欲が劇的になくなった、たった一つの習慣方法 |