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幸福は年収400万円が壁⁉

先日Yahooニュースにこんなタイトルの記事が載っていました。

「年収400万円の人は稼いでも「幸福を感じにくい」ワケ」(鈴木祐さん著)

 

記事の帰結は「年収400万円~500万円まではそれなりに幸福度と比例するが、それ以上は比例しない(比例しにくくなる)」というもの。具体的には年収400万円~500万円の人がそれ以上の収入を望んだときに、その収入アップに見合う幸福は得られない、労力対効果が薄い、ということです。ですので目指す額が多くなればなるほど、割に合わなくなります。(下記のリンクをご参照ください)

年収400万円の人は稼いでも「幸福を感じにくい」ワケ(bizSPA!フレッシュ) - Yahoo!ニュース

 

ではどうしたら幸福を追求していけるでしょうか?

 

人にもよりますが、体調不良を治すことや人間関係を良好にすることが挙げられます。記事の中でもこの2つは収入アップよりずっと幸福との相関関係が強いと指摘します。ですので生活費のために会社勤めをしている人などは、無理して出世を目指すより体調不良を改善したり、人間関係の良好さに時間とエネルギーを費やす方が、幸福を感じやすいと窺えます。

 

記事の著者である鈴木さんは「お金で幸せは(ある程度までしか)買えない」理由を下記の2点に整理されます。

 

・限界効用

・相対比較

 

限界効用というのは、食事で言うと何でも1杯目がおいしく感じられることを意味します。例えばむしょうにラーメンが食べたくなったとき、好みのラーメンを食べられたときは幸せです。しかし矢継ぎ早に2杯目、3杯目とおかわりしたとしたら? そうです、だんだんとおいしさは薄らぎます。この薄まっていく様(さま)を経済学では「限界効用が下がる」と言います。給料アップも当初は嬉しさに包まれますが、平均的にはせいぜい1年間が限度だそうです。

 

相対比較は文字通りの意味です。給料明細の額面ではなく、その額面が周囲より高いか低いかの序列で幸福が決定されるということ。これは心理学で「ランク所得説」と呼ばれ、8万を超す観察研究で何度も確認されてきた信憑性の高いデータのようです。

 

この「限界効用」と「相対比較」の2点を踏まえ、私なりに幸福はどこに存在するかを考えてみました。それはやはり、本多静六氏の言われる生活の「上向き感」にあるのではないかと思います。(本多静六氏は当ブログでも何度も紹介している方で、日本の林学博士で造園家、株式投資家です。日比谷公園明治神宮等の設計に携わったことで有名)

 

上向き感の対象は病気の治癒、趣味の上達、ダイエット、学習、人間関係などさまざま。その上向き感はどこから生じるのか? それは「挑戦」の2文字です。挑戦といっても大げさなものではなく "やってみる" 程度のこと。例えば最新のアプリをインストールし試してみる等。

 

この挑戦をすれば大なり小なりの「変化」があります。この変化が限界効用を防ぎます。「上向き感」とはまぎれもなく変化の中の話しで、挑戦なくして変化はありません。しかし挑戦すれば下向き感の変化もあります。が、歴史も個人も細大の らせん状を経て右肩上がりが可能となる以上、目先の下向きに捉われるのはナンセンスです。つまり「下向き感(失敗)なくして上向き感(成功)なし」ということ。

 

そして上向き感は「相対比較」も防ぎます。"自分は望む方に進んでいる" という上向き感は周囲との比較を超越するからです。

 

ところで「上向き感」とわざわざ「感」を付けるのは、目先の現象に上向きか下向きかを決定するのはその人の「心」だと思うからです。かのエジソンは目先の失敗を毎度ポジティブに捉えました。エジソンにとって実験結果そのものが成功で、都度上向き感を育まれたかもしれません。

 

では限界効用と相対比較を回避し、生活のベクトル感こそ幸・不幸を左右するものと位置付けた本多静六氏の言葉を見てみましょう。

 

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ずいぶんと古い話だが、私が苦学生時代に、生まれて初めて一杯の天丼のありついたとき、全く世の中には、こんなウマイものがあるかと驚嘆した。その時の日記には

 

「願ワクバ時来ツテ天丼二杯ヅツ食べラレルヤウニナレカシ」

 

と記されている。

 

後年、海外留学から帰ってきて、さっそくこの宿題の「天丼二杯」を試みた。ところが、とても食い尽くせもしなかったし、またそれほどにウマクもなかった。この現実暴露の悲哀はなんについても同じことがいえる。

 

ゼイタク生活の欲望や財産蓄積の希望についてもそうであって、月一万円の生活をする人が二万円の生活にこぎつけても幸福は二倍にはならぬし、十万円の財産に達しても、ただそれだけでなんらの幸福倍化にはならない。

 

いったい、人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。

 

すなわち、天丼を二杯も三杯も目の前に運ばせて、その一杯を-だれでも一杯しか食えるものではない- 平らげるのは、せっかうのものもウマク食えない。一杯の天丼を一杯だけ注文して舌鼓を打つところに、本当の味わいがあり、食味の快楽がある。

 

多少の財産を自ら持ってみて、私はこうした天丼哲学というか、人生哲学というか、ともかく、一つの自得の道を発見することができたのである。

 

by 本多静六「私の財産告白」より抜粋

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友達とファミレスで談笑するのに、千円も要りません。友達とチェーン居酒屋で談笑するのに1万円も要りません。SNSでコミュニケーションを図るのにインターネット料金以外は要りません。

 

人は最後に大切にしたものが残ると言われます。お金を大切にした人はお金が残ります。家族を大切にした人は家族が残ります。友達を大切にした人は友達が残ります。その大切なものを歩んだプロセスに「思い出」がつくられます。

 

あなたは何を残し、どんな思い出を抱いてあの世に行きたいですか?

 

つまるところ、その答えを支えるだけの収入があればいいわけで、それ以上の収入は収入アップさせるに費やした時間だけ貴重な思い出をつくり損(そこ)ねてしまった、という結果になるのではないでしょうか。

 

誰しも時間は有限ゆえ、その時間を何に投じるのか、2020年を本格始動させる今、考えてもいいテーマかと思います。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。