「自燃(じねん)」がわかる歌
ここに一つの歌があります。
「あれを見よ 深山(みやま)の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも」
臨済宗の僧 松原泰道老師が、卒業旅行で友達と箱根旅行したときに、ふと見た石碑に刻まれていた万葉仮名の歌とのこと。
松原氏はこの歌にひどく心を打たれ、その後の生きる姿勢が決まったと紹介されます。残念ながら作者は不明。
ちなみに私流の訳はこうです。
「誰も見る人のいない深い山に桜がきれいに咲いている。そうか、 桜は見てもらうために咲いているのではないのだ!それならば 人間も同じなのではないか⁉ 他人が知ろうと知るまいと、真心をつくすべきだ」
タイトルの自燃(じねん)とは経営コンサルタントの横山信弘さんがYahooニュースの記事で紹介された用語。横山さん曰く組織における人材は以下の3種類に分けられるそうです。
■「自燃人(じねんじん)」……自分で勝手に燃えている人
■「可燃人(かねんじん)」……火をつけられると燃えることができる人
■「不燃人(ふねんじん)」……なかなか燃えない人
当記事では横山さんの組織論に触れませんが、ひとりでに桜が咲くように、人に見られなくても自分を燃やす生き方を「自燃」と称し、自燃の根っこを探ります。
私が思うに、自燃人とはまずは自分を大切にし、ある程度自分が満たせられたら人や社会を思える人ではないでしょうか? まずは自分のために「真心」を尽くし、余力の範囲で人のために「真心」を尽くす、その姿勢に客席の動向は関係ない、ただただ思うままに自分を突き動かすだけ、そんな印象です。
しかしこの真心、ときに恥ずかしさや勇気等を生じさせます。卑近な例で言えば 電車で席を譲るとき。私はなんとも思いませんが、人によっては恥ずかしさを感じるようです。あとは人付き合いや謝罪、好きな人に告白するときも勇気等が必要です。気になる人に自分から声をかけるときやコミュニティの初参加等も同様でしょう。
上記の例だけでも自分の感情のままに行動に移すことは難しいもの。人との約束なら重い腰も上げられますが、自分との約束はすぐに破ってしまいます。人との約束だけでなく、自分との約束を守るのもまた「真心」。
人が絡もうと絡もまいと、私たちの行動に億劫や面倒くささが生じたとき、深山の桜を想い、人知らずとも「言行一致」させる自燃力を養いたいものです。
「あれを見よ 深山(みやま)の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも」
私たちは自然の姿を実際に見るだけでミラーニューロン効果なのか、力やエネルギーをもらえたりします。いつも親や家族、友達がサポートしてくれるわけではない以上、ときに自然の姿を拝借し、自身の人生(生き方)に重ねられることをお勧めします。実際に松原泰道老師がそうされたように…
人知らず、立派に花を咲かせる深山の桜は、私たちをきっと応援してくれます。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。