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星とたんぽぽ

あなたは童謡詩人の金子みすゞさんをご存じですか?

天賦の才に恵まれながらも、26歳の若さでこの世を去った童謡詩人です。

彼女を少し紹介します。


金子さんは1903(明治36)年、山口県大津郡仙崎村(今の長門市)で誕生。下関市の書店で働きながら童謡をつくります。投稿詩人としてすぐれた作品を雑誌に発表、西条八十に「若き童謡詩人の巨星」と賞賛されます。大正15年発行の童謡詩人会編の童謡集に北原白秋、野口雨情らと並んで作品が一点収められますが、広く世にひろめられることはありませんでした。そして生涯に500あまりの童謡詩をつくりましたが、夫に詩作を禁じられたり、不治の病を負った悲しみからか、離婚後の1930(昭和5)年に26歳の若さで非業の死(自殺)を遂げました。

 

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埋もれていた詩は、童謡詩人・矢崎節夫によって発掘され紹介されます。私たちが本やネットを通し、彼女の素晴らしい詩に触れられるのは本当にありがたいことです。故郷長門市には、金子みすず記念館があり、関連資料が展示されています。毎年3月10日に「みすず忌」が開催されます。

 

今回は金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」という詩を紹介します。

前半は昼間に空を眺めても星は見えませんが、確かに星は存在するという意味、後半は春になるとたんぽぽが可愛い花をつけますが、それは冬の何も見えない土の中に根っこが隠れているからという意味の詩です。

 

 

<星とたんぽぽ>

 

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように

夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

 

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦(かわら)のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

 

引用文献

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みすゞさんらしいタッチで、自然の奥深さを見事に表わした名詩です。自然の奥深さとは目に見えなくても世の中に現に存在するということ。人間に置き換えるとどんなことがあるでしょう? まっさきに思い浮かぶのが「心」「気持ち」です。細分化すれば「友情」「愛情」「思いやり」「絆」等々。

 

もっと深いところで洞察すれば、たんぽぽの根っこもお昼の星もすべて「氣」から生じ

ます。(以前の記事『無限の可能性=「自分」』ご参照

https://blog.hatena.ne.jp/leonet0702/leonet0702.hatenablog.com/edit?entry=26006613449781558

 

人が笑顔で喜べば、それは喜びの原因が内面に存在します。

人が怒れば、それは怒りの原因が内面に存在します。

 

誰かからプレゼントをもらったり、優しい言葉をかけてくれたとき、私たちが本当に嬉しいのは、プレゼントや優しい言葉の内面を読み取れたときではないでしょうか。

 

逆もまた真なりです。

内面が外面に現れるなら、なんとか外面をコントロールすれば、内面も外面に合わせる作用が働くということ。よく言われるのが、ビシッとしたスーツを着用すれば、心もビシッとするとか、背筋をキリっと正せば心も正される、などです。実際にそうなのでしょう。鏡を見るたびに笑顔の練習をすれば、本当に笑顔が習慣になるという話も聞いたことがあります。

 

内臓はどうでしょうか? 外面から内臓にアプローチできる方法はあるのでしょうか?

実は一つだけあるのです。それが「呼吸」です。緊張して心臓がバクバクすれば、即座に深い深呼吸をします。すると酸素が身体の隅々に行き渡り血行がよくなり、筋肉の緊張がほぐれ気分が落ち着き 鼓動も落ち着きます。

 

たんぽぽの花と根っこがつながるように、私たちの外面も内面とつながります。ですから、内面を磨くケアはもちろん、外面を磨くケアも同時に行えば「なりたい自分」に最短で行き着けると考えます。

 

別の観点をみてみましょう。

あなたが何かで落ち込むとします。そんなとき、どんなことが起こればあなたの落ち込みは緩和されるでしょう?

答えは正直わかりません。なぜなら答えは一つではないからです。しかしほぼ確実に言えるのが、時を同じくしておなたと同等かそれ以上に落ち込む人は、世界中のどこかにいるということ。半径50メートル以内にいるかもしれません。

 

そのように考えるとなんだかホッとしませんか?

"落ち込んでいるのは自分だけじゃない、他の人もいるんだ" 

"その人たちのためにも心機一転、仲間を支えられないだろうか" と。

 

謡曲の歌詞によく出てくる「あなたは一人(独り)じゃない」とは、そういう意味なのかもしれません。

 

場所や空間、なんなら時を超えて仲間と出会う、同志と出会う、そんな想像力が人間には備わります。場所(空間)だけで言うと、あなたの位置から半径を極限まで伸ばした世界中の円の中に、喜怒哀楽を共にする仲間、同志は必ずいます。あなたが失恋したら、その瞬間に別の場所で失恋する人がいるということです。瞬間でなかったとしても数分以内には発生します。

 

それでもあなたは見えません。アフリカか、アメリカか、ヨーロッパか、いや日本か、あなたは見えないでしょう。そうです、昼のお星が見えないように…。

 

だから私たちは物理的な目視に頼らず、心で見るクセが必要です。心で見る、それを想像力といい、想像力をもつ生き物は人間だけ、だから万物の霊長なのです。

 

自然の奥深さ、自然の営みは私たち人間への教えです。その教えを素直に学び、小さな世界に埋没しないよう 広く 長く 複眼的な視点を取り入れたいものです。

 

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。