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断捨離ができる「考え方」

先日堀江貴文さんの著書「捨て本」を読みました。

 

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彼の著書は最近毎月のように出版されるため、何がどう違うのか、1冊買うとしても何をチョイスしたらいいか迷う人もいると思います。

 

私は彼の著書を昔から最近までほとんど目を通してますが、最近の本でお勧めの1冊を聞かれたら「捨て本」を挙げると思います。

 

もちろん1冊ずつタイトルがあるように、読み手が何を求めるかにもよりますが、堀江貴文という人間が「生き方」をテーマに「自身がどのように考え、読者に何を訴え 問題提起をしたいのか」がよりわかる本としてお勧めです。

 

ストーリーは彼の出生から現在までを数年単位の時系列で区切られ、その時・その時で彼が得て 失う経緯を背景や状況とセットで語られます。時系列という構成が著書「ゼロ」によく似ていますので「ゼロ」を読みやすかった方は、「捨て本」も同様に感じられると思います。

 

さて、本記事のテーマは「断捨離」です。

私は「捨てる」と「断捨離」の違いを今一つ理解していないため、ここでは話の流れで両方の言葉を使って進めます。両者とも同義と思っていただいてけっこうです。

 

書店に行けばさまざまな断捨離本が並んでいます。私も何冊か読みましたが、だいたいの主旨が「捨てることは心をスッキリさせ、前向きな気持ちにさせる」というものだと記憶します。しかしそれでも捨てられない方や捨て切れない方はまだ大勢いらっしゃると思います。あなたはいかがですか?

 

この記事では私なりの断捨離できる「考え方」を紹介します。この「考え方」は堀江さんの「捨て本」を読んだことで私の考えが より整理されたことに起因します。つきましては、彼と私の考えに相違点もあるため、あらかじめご了承ください。

 

それでは断捨離ができる考え方の結論から。

「モノは情報空間で保管せよ」

 

以上です。とてもシンプルですね。

 

具体的にはあなたが捨てたいモノを テキスト・画像・動画等 に置き替え、クラウド上で保存し処分する(もしくは不用品として売る)こと。

 

なぜでしょう?

 

まず捨てられないものを①と②に二分します。

①「思い出が詰まった」モノ

②「今後使うかもしれない」モノ 

 

①の思い出が詰まったモノですが、モノに思い出が詰まっているわけではありません。モノを見たとき または モノに触れたときにそのモノに対するエピソードが想起され、そのエピソードがあなたは欲しいのです。エピソードを忘れたくないため、いつでもエピソードを思い出したいがためにモノを保管するのです。よってモノはただの媒介・媒体に過ぎません。まずこのことに気づけるかどうかが断捨離の可否の明暗を分けます。

 

エピソードについて、ほとんが「~感」という感情に集約されます。例えばA君の東京大学の合格証。A君はその合格証が捨てられないでいます。A君は社会人になり、さまざまな挫折を経験するたびにその合格証を見ては "あの時の自分は本当に頑張った。きっとこの壁も乗り越えられるはず" と鼓舞します。

 

さてこのケース。A君の合格証の紙じたいに何か価値はあるでしょうか?

 

おそらくないでしょう。なぜか?

A君が求めるモノは、合格証の紙ではなく東京大学に合格したという事実、その “獲得感”  “頑張った感”  にあるからです。

 

B君は学生のときに大好きな彼女にサプライズでもらったプレゼントがどうしても捨てられません。あの時の青春を30代の今でも忘れずに自分の宝物としています。

 

さてこのケース。B君が当時の彼女にもらったプレゼントじたいに何か価値はあるでしょうか?

 

おそらくないでしょう。なぜか?

B君が求めるモノは、当時大好きだった彼女にサプライズでプレゼントをもらったという事実、その “獲得感” “幸運感”  にあるからです。

 

そうです。結局大事に保管したいモノとは「~感」に集約される「感情」なのです。そうではないですか? 世の大半の人はお札(さつ)そのものが欲しいわけではありません。お札(さつ)で買える「何か(感情)」が欲しいのです。

 

ということで、「~感」に集約される「感情」を想起させる媒介・媒体は「モノ」でなくてもかまわないということになります。わざわざ場所を取り かさばる「モノ」で保管するよりも情報で保管したほうが、好きなときに好きな場所で想起できる分、優れていることにもなります。

 

次に②の「今後使うかもしれない」モノ についてです。

こちらも実は情報で保管することで、潔く捨てられます。

"実際にいざ使うときに実物がなければ買いなおさないといけないじゃないか" という反論がありますが、そのときは割り切って買いなおすことを前提とします。問題は買いなおすときに、同じモノの再購入を可能とする「安心感」の担保です。例えば家電製品だとメーカーや型番がありますが、それらをきちんと画像として保存します。やってみるとわかりますが、再購入を可能とする担保を敷くだけで、安心して捨てられます。無論 再購入できないレア物もありますが、それは残したければ残せばいいのです。そして実際に購入するときというのは訪れないか、訪れたとしても再購入せず、そのときにお店で売っている物を購入します。そう、結局捨てる行為に安心感が必要だったというだけです。

 

お金持ちの人が時々こんなことを言われます。

「お金で測れるものより、お金で測れないものをいくつ持っているかがその人の価値」

 

いつ使うかわからないモノを抱えることは容易です。しかしそういったものを処分し、快適な空間を作り出すことは勇気覚悟がいります。その勇気と覚悟をもってして得た空間・スペースは、ある種お金で測れない価値そのものと言えなくはないでしょうか。快適な空間、快適なスペースはお金では買えません。勇気と覚悟の結晶、大げさに言えばそんな感じです。

 

そして最後にどうしても付しておきたいことがあります。それは「あなたの目は未来を向いているか?」ということです。

 

堀江さんはライブドアを買収したときに、即座に社名をオン・ザ・エッジからライブドアに変更しました。オン・ザ・エッジ時代から共に歩んできた社員・役員は当然のごとく変更に反対しました。しかし堀江さんはいとも簡単にオン・ザ・エッジを捨てたのです。なぜでしょう? それは彼の目が未来を向いていたからです。それに対し反対した社員は過去に向いていました。目線を未来に向ければ、社名は知名度が大きいライブドアの方があらゆる場面で都合がよくなります。

 

つまり未来に得たい自分、得たいモノが明確ならば、それに向けて「今」を最適化することは実はごく自然なことということです。ダイエットを本気で決意した人は、その瞬間から棚にしまってあるお菓子類を一気に処分できるのといっしょです。

 

全体重を未来にかけ、未来に向けて今を最適化する。そのために不要なモノはどんどん捨てる。しかしときに人間はそんなに強くないことも理解します。そんなときは積極的に「安心感」を担保しましょう。

「帰る場所(自宅)があるから、旅を楽しめる」「地元があるから上京して頑張れる」

それといっしょです。

 

①「思い出が詰まった」モノ 

②「今後使うかもしれない」モノ

 

モノを情報空間で保管し「安心感」を担保する。担保できて初めて未来への旅路のスタートを切れる。それでいいのです。大事なことは未来に目を向けることにあるのですから。

 

本記事があなたが断捨離ライフの一助となれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。