「たいした問題じゃない」という哲学
世の中には問題に直面するたびに大事に捉える人がいらっしゃいます。
そんな人におすすめの名言がこちら。
『それはあまりたいした問題じゃない。私はいつもこの「それはたいした問題じゃない」という哲学を持ってきた。』
by アンディ・ウォーホル(アメリカの画家、版画家、芸術家。ポップアートの旗手)
ポップアートの旗手とされる画家のアンディ・ウォーホルは「たいした問題じゃない」で済ませることの大切さを説きます。彼は古典芸術やモダニズムとは一線を画した技法でアメリカ社会を反映したアートを創出しましたが、それができたのも周囲からの批判を「たいした問題じゃない」と片付けていたからかもしれません。
私がこの名言に出会って新鮮に思ったのが、彼がそれを「哲学」と称した点です。哲学と称する以上、人生の土台として随所にそれを持ち込み、芸術家として気にするところは気にし、そうでないことはとんと関心を寄せなかったのだと思います。
彼は上記以外にこんな言葉も残します。
「自分について何か書かれていても、その内容は気にしちゃいけない。大事なのは、どのくらいのスペースが割かれているかだ」
「孤立することが悪いなんてちっとも思わない。僕にとっては最高の気分さ」
その他にも数々の言葉を残しますが、自分の考えを貫く一貫性は十分に伝わります。
私は彼の「大した問題じゃない」という哲学に触れたときに、日本でも似たようなことを言われる有名人を思い出しました。それが銀座まるかんの創業者 斎藤一人さんです。
「困ったことは起こらない」
by 斎藤一人
アンディの意味するところとは若干異なりますが、その問題(対象)に気持ちで負けてないという点では共通です。一人さんは実際に下記のように言われます。
「大手に負けちゃいけない。気持ちがまず勝たなければダメなんです。大手が出てきたら、袋だたきにするぞくらいの気持ちでなくちゃダメ。まず、気持ちで負けないこと。気持ちがね、負けちゃダメなんだ。気持ちがまず、勝たなければダメなんです」
さすがです。
健康食品という大手がひしめく業界で、今でもファンが絶えないわけがわかる気がします。他の零細な健康食品会社であれば、とっくに気持ちで負けることでしょう。
少し脱線しました。
以下、「たいした問題じゃない」という哲学に絞って話を進めます。
この「たいした問題じゃない」という哲学は同時に「たいした問題」の明確化を孕みます。「たいした問題じゃない」と瞬時に思えるのは、自分にとって重要なことが明確化されているからこそ。
例えばマイホームパパで家庭や家族をこの上なく愛する人の "仕事のいざこざ" など「たいした問題じゃない」でしょう。釣りバカ日誌のハマちゃんも同様。奥さんと釣り以外はどうでもいい部類です。
そして「たいした問題」は、少なく、大きく、強いほどよいです。例えば幻冬舎のカリスマ編集者 箕輪厚介氏は「死ぬこと以外はかすり傷」と言われ、本のタイトルにもなっています。彼のように「たいした問題」は当人にとって譲れない一線のようなもの、あまり多くもつと返って生きにくくなります。
そして「たいした問題」以外は当人にとってこだわりがない分問題を小さく捉えられ、小さく捉えられるほど問題解決にすぐに着手でき、大所高所から解決策を見い出せます。これを「大きく考えることの魔術 (ダビッド・J. シュワルツ 著)」と言います。
さてここまで読み進めてくださったあなた。あなたにとって「たいした問題」とは何でしょうか?
それを少なく大きく強く認識するほどに、その他の雑多な問題は「たいした問題」ではなくなります。「たいした問題」でなくなるほどに、ピーター・ドラッカー氏の言われる「選択と集中」が容易になります。時間が多く割けられます。
そう考えてみると、もはや「それはたいした問題じゃない」という哲学はストレス・マネジメントと言えそうです。成功(大成)への土台のみならず、人生を楽しくする土台です。ぜひあなたの哲学に取り入れることをお勧めします。きっとあなたのこれからが、今まで以上に軽やかに生きられることを願って…
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。