「今日」の偉大さ
先日 はあちゅうさん(ブロガー)の著書「恋と仕事 51の名言」を拝読しました。
そこでハタと気づきがありましたので、お伝えさせていただきます。
まず私の心を留めた一文を下記に抜粋します。
「あの時の私はいつも "いつかは思った通りの未来がくる" と思っていましたが、思い通りの未来なんて、たぶん一生こないと思うんです。人生はいつか始まるものではなく、もう始まっているもの。そして目の前の仕事こそが、今の自分がやるべき仕事。 "いつか本番がくる" と思っている人ほど、本番がきても気づかないのだと思います。"これが私の仕事" ━ そう思うことで人生は始まるのかもしれません」
上述は、仕事に対しての名言です。
はあちゅうさんは新卒後、コピーライターとしての職務に就かれました。もうその瞬間に夢が叶ったかのように錯覚し、それ以降の与えられた仕事になんだか夢ややりがいを感じられなかったとか。そんなときにはあちゅうさんが掲載した広告で、営業担当者が "キミの仕事だね!おめでとう!" と掲載紙を届けてくれました。それがはあちゅうさんにとって "これ、私の仕事って言っていいんだ!" と新鮮でかつうれしくなり、同時に "これをやり続けることこそが、コピーライターとしての私の仕事なんだ" と実感が湧いたそうです。
こういう言葉があります。
「1日1日が小さな一生なのだ。毎日毎日の起床が小さな出生、毎夜の臥床就寝が小さな死なのである」
by アルトゥル・ショーペンハウアー(ドイツの哲学者)
私たちは未来に希望をもって今日やるべきことをやることを(どこかで)推奨されていると思います。確かにそうだと思うのですが、"いつかきっとどこか" が第1でそれ以外の今日や明日が2番以降という考えは、私は違うと思います。
"いつかきっとどこか" を実現させるには、"いつかきっとどこか" 以外の1日1日を積み重ねないといけません。その積み重ねがなければ "いつかきっとどこか" は完成(実現)しません。パズルでいうと、今日(1日)は "いつかきっとどこか" の掛け替えのないワンピース。そのワンピースの中に喜怒哀楽、人間関係、仕事、集中、休憩、睡眠、遊び、衣食住、完成図との相互関係、バランス、調和などが含まれるわけで、逆にワンピースこそが人生を語るにふさわしいのだと考えます。
昭和の哲人と称される中村天風氏に次のような言葉があります。
「人の心というものは、およそ何物にも比ぶべくものもない偉大なものである」
「大宇宙よりも、人間の心の方が大きい」
広大無辺な宇宙よりも、それを想像でき、そして現存しない未来までもイメージできる「心」の方がずっと大きいのだ。と言われるのです。
今日という1日=ワンピース。
"いつかきっとどこか" = 希望の完成図(絵図)
そのワンピースは実は希望の完成図(絵図)よりずっと大きいのではないでしょうか。
なぜなら今日の風は今日しか吹かないからです。
今日は二度と還らないからです。
希望の完成図(絵図)は結果であり、結果は神の領域。
私たち人間は、経過でしか生きられず、経過の中で幸せを勝ち取る生き物。経過の中にしか幸せは落ちておらず、経過こそ人間の領域です。
そして私たちが生きられる経過は「今日」しか存在しないのです。
最後にもう一度 はあちゅうさんの言葉。
「思い通りの未来なんて、たぶん一生こないと思うんです」
過去・現在、一切を呑み込み、
今日を思い通りにすることこそ「人生を幸せに生きる」ということではないでしょうか。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引用・参考文献