「人」のために使う時間
自分に余裕があれば、人のために時間が使えます。自分に余裕をもつことはそんなに難しいことではありません。自分の予定をこなすことを楽しめればいいだけです。
人は人、自分は自分で 自分だけの夢(目標)を階段としてイメージし、今日登れるだけのサイズに細分化、一歩一歩登ること(登れること)を楽しむ、それだけです。
そして予定をいっぱいいっぱいにせず、心象としては「かたつむり ゆるゆる登る 富士の山」、人や社会との時間も大切にします。
するとどうでしょう?
なんと「天国」に行けるそうです。
そう教えてくれるのは2017年(105歳)にお亡くなりになった聖路加国際病院元理事長 日野原重明さん。著書「生きていくあなたへ」で次のような話を紹介されます。
人が亡くなると、神様のもとで天国か地獄かをジャッジされます。その方法は、神様は天秤を持っていて、生前に人のために使った時間と自分のために使った時間を計ります。その結果、人のために使った時間が多い人が「天国」に行けるそうです。
もちろん寓話です。が、誰も見たことがない以上、本当にそういう風なのかもしれません。
大事なことは、「人のため」というのは物理的(直接的)に何かをすることだけではないということ。現代のようにネットやSNSが普及した社会では、それらを通して実行することも可能ですし、笑顔を心掛けたり、不機嫌を治したり、小さな心がけを継続することも多大に有効です。もちろん仕事を通しても・・です。
また人付き合いは向き不向きがある中でも、自分との付き合いの反映(鏡)という作用は認識すべきです。よってまずは自分の機嫌をよくすることが人付き合いの一歩目と心得(こころえ)、それを意識しつつ、余裕があれば、ときにこの寓話を思い出し、不慣れな誘いにも"乗ってみる"というのもありなのではないかなと思います。
世の中には寓話を心底信じ、逞しく生きる方も多くいらっしゃいます。あなたは今回の寓話はいかがでしたでしょうか? ぜひ参考にしていただければと思います。本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
引用・参考文献