営業とは不安の解消である
本日は「営業」についてです。
私は保険会社に勤務する勤続11年の会社員で、現在はコールセンターの管理職をしています。もともとは電話のオペレーター職で入社し、7年前までは電話で営業活動をしていました。現在でも50人ほど在籍するオペレーターの営業活動をつぶさに見ています。
電話で保険の契約(合意)までこぎつけ、実際の手続きは現場の営業職員に任せるわけですが、電話で合意までもっていくのはそんなに簡単ではありません。しかし(契約を)取れる人は取れるため、本日はどのような人(営業パーソン)が営業成績がいいかの私の考えを申し上げます。
答えから申し上げると、「営業は不安の解消である」ということです。もっと具体的に言うと、「お客様の不安要素を浮き彫りにし、その解消を提案する」となります。
例えば髭剃り用の電動シェーバーの販売を考えてみます。お客様が今現在、どのようにケアしているのかの現状を確認し、その現状に何を不満(不安)に思っているのかをお聞きします。しかし特に何も不満はないとします。そこで「新商品(の電動シェーバー)は、***のしくみで、肌荒れがしにくい構造になっています」と言い、さらに「先日ニュースでやっていましたが、何の肌荒れもなく使い続けたユーザーが、突然〇〇という皮膚病を発症したという事例があり、当社比較でこの新商品は〇〇のリスクを1/10に軽減できるようになりました」と言ってみます。するとお客様は新情報と相まって少し関心を示されるかもしれません。
あくまで一例ですが、手堅い営業手法は、願望や理想をイメージさせるより、不安や不満を解消させることの方が有効ということです。私が身を置く保険商品はその最たる業界ですが、例えばブライダル商品にも使えます。「結婚式は一生に一回のものですから、あまり質素になっても、あとあと後悔するかもしれません」と言ってみます。お客様が"今"しか見ていなければ、質素に流れるかもしれませんが、"未来の後悔” という視点を持ってこれば、その回避に勤められるかもしれません。
一番良いのは、不安や不満を解消するのと同時に、解消した後の素晴らしい未来も見せることです。このW(ダブル)の効果は最強です。
最後に割合です。
話の中の2割ほどを不安(不満)要素にもってこれば、営業手法としては最適なバランスだと思います。残りの8割は、商品説明でも現状確認でも素晴らしい未来でもかまいません。注意しないといけないのは、さりげなく2割以内に留めることで、不安(不満)を追求し過ぎないことです。追求し過ぎれば悪徳や脅し、不安を過度に煽る業者(パーソン)とレッテルを貼られます。
また売りたい商品やサービスが、お客様の不安(不満)を解消できるものではないときもあると思います。そのときは"それ"を使うことで、お客様にとってどのように素晴らしい未来が描かれるかをいっしょにイメージしてもらうしかありません。
本記事は、ほとんどの商品やサービスが、お客様のなんらかの不安(不満)の解消になることを前提にお届けしています。まずは不安(不満)を浮き彫りにし、その解消につとめる話法(広告)を提案する、余裕があれば、解消された後の薔薇色の未来を描ければなおよしです。
「営業とは不安の解消である」
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
「経費削減」の考え方2
私は以前に次の記事を書きました。
有名な投資家ウォーレン・バフェットの言葉を紹介した内容です。掻い摘むと「経費削減」は常日頃から自然と行われるべきもので、腰を上げてやるものではないというものです。
本日は前回お届けした竹之内さんの著書「無名の男がたった7年で270億円手に入れた物語」からお届けします。竹之内さんも同じく「経費削減」について触れられていましたが、意味合いが異なります。竹之内さんの意味合いは「経費削減=投資」という考えです。
例えばマッサージ専門店「りらくる」で、足ふきマットが汚れきた事例がありました。店舗のセラピストが取り換えを提案しましたが、足ふきマットは一枚5千円します。新しいものに取り換えることで5千円以上の価値が生まれるのか? その思考を入れることが投資マインドです。この事例では一枚5千円に回収は及ばないと判断し、そのまま使い続けることにしたとのこと。
よくお金の使い方には「浪費」「消費」「投資」の3種類があると言われます。そのうちの3つ目「投資」が経費削減を可能とする考えです。
私はこれまでファイナンシャル・プランナーが言われる「投資」には、あまり重要さを感じませんでした。しかし竹之内さんの考えに触れることで「投資」の神髄が見えた気がしました。竹之内さんは経費と言われる随所に投資マインドを持ち込み、経費対効果を考えられます。この考え方は経営者にとって、とても重要と何度も著書で強調され、逆に世の大半の経営者はこの点があまりに無頓着すぎると釘を刺されます。
竹之内さんの話はここで終わりにして、私たちの生活費や支出を考えてみます。どうして私たちは節約が上手く機能しないのでしょうか?それは投資マインドを持っていないからです。投資というとせこせこしているイメージがありますが、元来、投資に値するものしか買ってはいけないという考えも一法です。
砂漠を歩いている中で、のどが渇けば1本500円でも1000円でも水を買います。それは必要に駆られているからです。つまり必要を満たすものはその時点で(広義に)「投資」です。砂漠に水で言えば、のどの渇きを潤せれば投資の回収です。問題なのは必要に迫られていない願望・欲望の場合です。
「~が欲しい」という感情がそれですが、ここで毎回投資マインドを発揮してみます。その支出額をきちんと回収できるのか? どのように回収できるのか?
しかし回収の基準は意外に難しいことがわかります。そこで参考になるのが「回転」や「頻度」です。洋服でいえば、どれほど着るのか? 頻度が少ないならレンタルでいいのでは? 我慢してもいいのでは? など。映画のDVDはもっともわかりやすいです。ほとんどの人は1回しか観ないでしょう、だからレンタルです。わざわざ購入するのは1回以上見ることを前提として、レンタル料金を下回るときだけです。
注意点は金額だけが回収ではないという点です。精神的な満足も鑑み、その出費額に精神的満足は追いつくのか、追い越すのか、その観点です。
一般的に私たちの収入は限られ、その中でのやりくりが幸福度を決めます。すべてを満たせば貯金額は0かそれ以上(借金)になります。支出の強弱の適正をどう図るか、毎日の支出的課題がそこにあります。その適正にいち早く辿り着ける思考が、毎度の「投資マインド」です。どう回収し、回収できるのか?我慢じゃダメなのか?ほかに回した(支出した)方が回収度がアップするのでは?
「投資マインド」が自然と節約を導き、貯金や投資額の捻出につながります。ただやみくもに節約を心がけるのではなく、支出や出費というものは、"回収(回収以上)してなんぼ"という発想を毎度もつこと。それが無駄遣いを回避し、自然と節約する状態をつくります。
「経費削減」の考え方2
支出(出費)のたび、投資マインドを発揮し、シビアにそこを見定めること。その見定めが自然と節約を可能とします。
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
猿真似ではない「真似」
先日に私は次の本を読みました。
竹之内教博著「無名の男がたった7年で270億円手に入れた物語」
読後の感想ではないですが、この本のエッセンスを一言でまとめると次です。
「真似をしなさい」
もちろんほかにもいろいろと有益な内容は盛り込まれていますが、強いてあげればそれになります。では真似をすることはそんなに目新しい"教え"でしょうか? 特に目新しくありません。これまでも数々の成功者が言われてきたことです。ではなぜ改めてこのテーマに触れるのか? それはたくさんの人が言われてきたからこそ、教えの中のワン・オブ・ゼム(one of them)に薄れたきたこと、そして竹之内さんのそれは少し特別な意味を含んでいることの2点にあります。
竹之内さんが270億円を手に入れたのは、600店舗に広げたマッサージ専門店「りらくる」の株式を英投資ファンドに90%を売却したからです。この「りらくる」のビジネスモデルは他店を真似たことで生まれ、その後の各種のビジネスもすべて他店の成功モデルを真似て行われているとのこと。
言葉にすれば簡単ですが、そこには深い分析が隠されています。先に私は竹之内さんの真似は特別な意味を含んでいると書きました。ただ真似るのではなく、「なぜ成功しているのか?」「本当に成功しているのか?」の分析が大事ということです。
インターネットビジネスの世界ではよく「再現性」という言葉が使われます。"誰でも稼げる" という集客の謳い文句です。竹之内さんの真似も実はそこを重視します。例えば長年にわたりブランドを構築してきたルイ・ヴィトンを真似ようと、同じように高級感を出し、同じようなロゴを使い、同じような高級品を販売してもうまくいくはずがありません。つまり分析の一つは猿真似での成功可否の判断です。
またある店舗が流行したとして、それはビジネスモデルが原因なのか、それとも立地にあるのか、それともその両方なのか、その判断も分析の一つです。
単純に売れている商品、売れているサービスを真似ればいいわけではなく、その原因をつかむ分析を前にもってきているところが竹之内さんの成功要因です。しかし実際は、そこまで完璧につかむことも難しいです。そこで「スモールスタート」で実験をするのが竹之内さんの定石です。「りらくる」も一店舗目から多店舗展開が可能かどうかの試金石を見ていました。それが吉と出たため、同じ形で同じ立地で同じ内容で二店舗目と増やしていきました。そこからは怒涛の勢いで1ヵ月で10店舗のペースです。
これまで「真似ること」の通念は、「学ぶこと」の出発点とし、そこに「守・破・離」の教えを用いてきました。基礎を固めて少しずつ自分流にアレンジしていく教えです。しかし竹之内さんの「真似ること」はビジネスにおけるそれなので、内容はおのずと異なります。ビジネスはしくみやロジック、環境要因でつくられます。ですので、成功要因という名の「原因」をつかまなければ、成功が再現できません。つまり分析なしに真似をしてもそれはただのギャンブルというわけです。実際竹之内さんも原因から離れたチャレンジをし、見事に失敗、それはギャンブルだったと反省の弁を語られています。
私たちにおいても、とても大事な教えがそこに横たわっています。例えば投資。会社員がチャートに張り付き売買することは至難の業です。にもかかわらずチャート分析に重きを置くスクールやセミナーに足しげく通う会社員もいます。また不動産投資も属性の高い医師や弁護士、公務員などは簡単に融資を受けられますが、中小企業の会社員はそうはいきません。株式投資のファンダメンタルズ分析でも、専門家に集中投資を推奨する人がいますが、会社員が半端にそれをやっても成功確率は極小です。会社員ならインデックスファンドへの分散投資が定石です。
このように投資だけ見ても、自分の向き・不向きがあり、なんでもかんでも成功例を真似ればいいわけではありません。自分の現在地や適性を把握し、自分に合ったモデルを見つけることが大切です。
まとめます。
我流でスタートをするのではなく、必ず成功例を見つける。見つけたら成功要因を分析する。分析したら自分に当てはまるかを確認する。当てはまったものだけを「スモールスタート」で実験する。実験が成功したらそれを広げる(大きくする)。実験が失敗したら失敗要因を分析する。改善できるなら改善し、改善できないなら新しい成功例を見つけて再スタート。こんな感じです。
竹之内さんが口を酸っぱくして言われたのは「成功例」からスタートをするということ。この世にないものは、誰かが失敗をしたからとの見立てです。誰かの失敗を真似るのは、時間とお金、労力の無駄です。必ず「成功例」からスタートし、分析をし、原因と再現性を確認し、自分に落とし込む流れです。
竹之内さんの著書で改めて「真似ること」の大切さを感じました。副業でも "我流では上手くいかない" という話はよく聞きます。先達(成功者)からきちんと教えを請い、成功要因を腹落ちさせることが成功への手堅いルートです。ただしどの道、100%はないため、先述した「スモールスタート」を切ることが得策で、言い方を変えれば「逃げ道」や「撤退」のルールを決めておくことが、再起のためには非常に大切です。
猿真似ではない「真似」
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
「記録」のもう一つの目的
最近は少し減ったかもしれませんが、数年前まではよく「日記を付けること」がビジネスや自己啓発分野で推奨されていました。あなたも1冊や2冊は見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
日記を付けるメリットはさまざまありますが、本日は日記を含め一つの単語、「記録」という概念でお話します。
「記録」の目的は一般的に、その事項を忘れたときに読み返せるようにするためです。読み返すことで答えを確認したり、答えまでのルートを想起できます。これは非常に重要な役割です。
しかしもう一つの目的も存在します。それは「けじめをつけること」です。「記録」には書くことだけでなく、録音することも含まれますが、ここでは書くこと(入力すること)に重きを置きます。
今日に起こったことを日記として「記録」することは、よほどのことがない限り、二度と今日を思い返さなくていい安心感を得られます。これを「けじめをつけること」と表現しました。
私がこの概念(目的)を知ったきっかけは、まだ居酒屋チェーン「ワタミ」が隆盛を誇っていた2000年初頭のことです、社長の渡邉美樹さんがある雑誌でそのように語られていて、"そんな効果(目的)もあるんだ" と感嘆したことにあります。それからというもの、私はいろいろなことに「記録」を付け始めました。すると不思議なことに、せっかく「記録」を付けたのに、どうしても思い出さなくてはいけないとき以外は、まったく思い出そうとしないのです。
この感覚は、実際にやってみればわかります。これを過去との決別に有効活用しようというのが本記事の主題です。「日に新た」という言葉がありますが、今日に頑張ったことも、今日に頑張れなかったことも、そして今日に嬉しかったことも今日に不愉快だったことも、すべて日記(記録)を付けることで、水に流すことができます。水に流し、二度と蘇らないようにできます。
裏を返せば「記録」を付けないから、不死鳥のように蘇ってくるとも言えます。「記録」を付けるということは、紙(データ)に記録を付けることを意味し、その内容は紙やデータに刻まれます。刻んだことが「けじめ」を生みます。新しい一歩に向かわせます。
そのような観点から、もし嫌なことがあった際は、夜まで待たずに、その場で「記録化」することをお勧めします。その場で瞬時に気持ちを切り替えられるからです。大事なことはその嫌な気分(気持ち)を見える化し、紙やデータに刻むこと。現在の気分(気持ち)を物理的に切り離すということです。
「見える化」というのはそれほど威力を発揮し、私は身をもってそれを体験しています。記録を付けているときはムカムカするかもしれませんが、そのムカムカ度をそのまま紙やデータに乗り移らせられるため、書き終われば気分は一新されます。
また日記に限らず知識や記憶事項についても、くり返しになりますが、「記録」を付けることで(いつでも思い出せる)という安心感がもたらされます。その安心感が「小さなけじめ」となり、現在にスッキリとした感じで向かわせてくれます。
書いたら次(の現実)、書いたら次(の現実)・・と現実を一新できる様(さま)は、過去を振り返らなくて済む現実を生み出します。何をもってしても「現在」が一番大切で、その現在に集中するためにも、足かせとなり得る「過去」については、良かれ悪しかれ「けじめ」をつける必要があり、それを可能としてくれるのが「記録」です。
ちなみに私が「記録」に使っているソフトはExcelです。体型的に書きなぐれて、何かあれば検索機能ですぐに検索できます。日記は見返すことはありませんが、仕事や記憶事項はよくあります。外出中もスマホのアプリやクラウドから見られるので、各種のタイムロスやタイミングを逃さなくて済みます。
ツールは何であれ、とにかく「記録」をつけることで、次の現実をスッキリとした気持ちで迎えられます。そして何かあったときはすぐに検索で引っ張り出せる安心感も言わずもがな身逃せないところです。
「記録」のもう一つの目的
A. けじめをつけること
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
「何もしないこと」
前回の記事「65歳で司法試験に合格」はいかがでしたでしょうか? 私たちはいつでも身体を柔軟に、脳を活性化する必要があり、それはどこでもできることです。実家でも旅先でも、自宅周辺でもです。意識・心がけひとつで今日が変わり、明日を変えられ、「65歳で司法試験に合格」は、そんな勇気がもらえる事実だったように思います。
その(前回)の記事で私はウォーレン・バフェットの右腕、チャーリー・マンガーにも触れました。バフェットが学習マシンであると言っていること、そしてマンガー自身も50歳のときより、90歳を超えた現在の方が、投資において上達していると言われていることにです。
本日はそんなマンガーの投資術をひとつ紹介します。バフェットと重なるところではありますが、投資に置かなくてもとても役立つ内容のため、自己啓発にも参考になると思います。
「待つことは、投資家にとって大きな助けになる。多くの人は待つことができない」
「勝ち目があるときにだけ行動すること。あなたは勝算を理解し、自分に勝算があるときにだけ賭けるという規律を守らなければならない。」
「時には、すばらしい経営者が経営するすばらしい会社に投資する機会に恵まれる。もちろん、それは至福の日である。」
「忍耐強く、その日が来るのを待たなければならない。待つことにはお金はかからないのだから。でも、一日中何もせずに座っていることは人間の本質に反する。いろいろとすることがあるほうがずっと楽だ。何もせずに五年も待ち続けることを想像してみてほしい。自分が無力で、何の役にも立たない存在に思えてくるはずだ。だからこそ、人は愚かなことをしてしまうのである。」
いずれもデビッド・クラーク著「マンガーの投資術」からの抜粋です。一言で言えば、「何もしないことを覚えろ」ということです。周りが仕事をしていれば、自分も仕事をしないといけない感覚を覚え、食事もしかりです。
この世の中に"絶対"というものさしはなく、無職でもホームレスでも生きる権利は平等です。生きる権利は「生き方の自由」を意味し、あくせく働くことが尊いわけではありません。女性を例に出せば、バリバリのキャリアウーマンもよし、専業主婦もよし、パート勤めもよしです。
現在で言えば在宅ワークもよし、会社勤務もよし、インターネットビジネスもよし、肉体労働もよしです。
バフェットもマンガーも、自分たちが投資に値する銘柄が目の前に現われなければ、5年も待ち続ける忍耐心を重んじます。5年待っても現れなければ10年を待つことでしょう。それくらい、見逃し三振はゆくゆくの損失を回避するという意味で、投資活動と同等の扱いをします。
具体的には、参入障壁が高く、低価格競争に巻き込まれずに済む銘柄を選定するのに、膨大な時間を費やします。ようやく見つけたかと思えば、株価が適正水準かそれ以下になるまでじっと待ちます。晴れて適正水準以下になれば、一気呵成にそれまでに蓄えた現金を投資します。その間1~2週間と言われます。
バリュー投資とグロース投資を混ぜ合わせたスタイルで、いっさいの妥協を許さない規律は、守れる人を容赦なく厳選します。規律を守れるから損失を回避できるわけで、そこには「人との比較」は微塵もありません。自分を信じるのみの勇気だけです。
彼らの投資活動はファンダメンタル分析と忍耐、ここぞのときの勇気に支えられるため、忙しく仕事をしたり、トレードをするスタイルとは180度異なります。それを言い表したのが次です。
「私の経験から言えることだが、いつも考え続け、本を読み続けていれば、働く必要はない」
すごい言葉です。働き方の多様化を教えてくれる極みです。
本記事で申し上げたいことは、冒頭で申し上げた「何もしないことを覚えろ」です。例えばマインドフルネス、例えば自己分析、例えば改善策の思案、例えばプチ断食です。
1日3度の食事に間食が加われば、胃腸の休むときがありません。「貧乏暇なし」という言葉がありますが、時間給のアルバイトで忙しければ、時間給を超越する不労所得への育成がままなりません。雑多な人付き合いに忙しければ、本当の人脈を培えません。
何もしないことは、ときに何かをすることよりはるかに重要です。それは自分を見つめるという意味においても、質の追求という意味においてもです。成果は量×質で表わされ、量に限りがある以上、質を追求するしかなく、質の追求には分析や思案がどうしても必要です。
本当に遠くまでいける人はどんな人なのか? 幸福の質を向上できる人はどんな人なのか? 人生100年時代のいまだからこそ、落ち着いて考える必要があります。それこそ1年でまだなら5年のスパンです。上記のマンガーの言葉がそのヒントです。
「何もしないこと」
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引用・参考文献
デビッド・クラーク著「マンガーの投資術」
65歳で司法試験に合格
先日に私は次の記事を読みました。
細かいことはさほど書かれていませんが、事実だけでも勇気がもらえます。それが「65歳で司法試験に合格」です。
その方は吉村さんと言われ、現在71歳、弁護士歴6年です。簡単な略歴は、昭和49年に九州大学法学部を卒業後、公務員に就職。以降、退職まで公務員を務められ、退職後に司法試験の勉強を始められ、65歳で合格されました。(記事ではいつからいつまで、何年間の勉強をされたなどの詳細は書かれていません)
吉村さんは、司法試験について、学生時代に受けたことがあるものの、箸にも棒にもかからず、それ以降は六法全書を開くことはなかったとのこと。それがなぜ退職後から勉強を始められたのか、とても気になりますが、それも記事には書かれていませんでした。
本記事で申し上げたいことは2点です。
1.関心事への強い思いを大事にすること
2.1.があれば、時期は何歳からでもかまわないこと
1.については、吉村さんは次のように言われます。
『何でもいいから「これを理解したい」という"強い思い”をきっかけに勉強を始めれば続くんです。逆に、興味がないことは続かないし、頭にも入ってきません』
そして勉強は体系的にするものではないと言われます。体系的と言われるとピンとこないかもしれませんが、例えば1ページ目から順序だてて覚えないといけない、など、ある種の型どおりの勉強に捉われてはいけない、ということだと思います。
ではどんな勉強法がお勧めか?
吉村さんは、野口悠紀雄さんのベストセラー「超勉強法」に習い、飛び込みや作業興奮を勧められます。とにかくページをめくり、気になるところから着手し、徐々に興奮を覚えさせる形です。
読書でいえば、気になるところからページをめくり、とにかく読書と一体化するということです。読む順番や全ページ読まないといけないなどの型は二の次です。
勉強法はさておき、今現在の自分を大切にするということは、今現在の「自分の好きなこと、興味のあること、関心が高いこと」に躊躇をしないということ、素直になるということです。
ほぼ100%近くの方は、65歳で司法試験を受験しようとは思いません。受験したくても諦めると思います。しかし例えば私は現在40歳です。20歳以上も若い私が、何かへの挑戦を諦めてよいのでしょうか? 諦める必要はないと吉村さんが教えてくれています。
本記事で申し上げたいこと。
1.関心事への強い思いを大事にすること
2.1.があれば、時期は何歳からでもかまわないこと
そういえば、かの有名な投資家・ウォーレン・バフェットについて、現在も右腕として健在のチャーリー・マンガーがこんなことを仰っています。
「バフェットは地上で最高の学習マシンだ。彼の投資技術は65歳になってから格段に向上した。若いころからずっと見てきたが、もしも、ある程度のところで学ぶのをやめていたなら、これほどの業績を達成していなかっただろう。」(デビッド・クラーク著「マンガーの投資術」より抜粋)
マンガー自身も90歳を超えたいまのほうが50歳のときよりも投資家としてずっと進歩したと言われます。マンガーはバークシャー・ハザウェイの副会長をバフェットとともに何十年も歩まれた右腕中の右腕で、「二本足が生えた本」と言われるほど、自他ともに認める超読書家・勉強家です。
65歳や90歳ともなれば、若い時のように体力や基礎代謝など、自然に衰えるところはあります。しかし「学習」に関しては、体力にものを言わせなくて済む分野であり、逆にある種の神経細胞はどんどん発達することが専門家から指摘されてもいます。
時間がたてばたつほど、年齢を重ねれば重ねるほど、どこを見て「今日」を生きるかが顕著に表れてきます。見た目にも精神的にも・・です。
「2人の囚人が鉄格子から外を眺めた。1人は泥を見た。1人は星を見た」
長い目で見れば、チャンスや運は誰にでも同等に訪れます。その際に虹を見るか、泥を見るかで、アクションのほどが確実に変わり、さらにその現実が複利で運用されるとなれば、幸福や成功に格差が訪れるのも仕方がないというところです。
「65歳で司法試験に合格」
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引用・参考記事
「われを愛し、われを敬せよ」
二宮尊徳に次の詩(うた)があります。
「父母(ちちはは)も
その父母(ちちはは)も
わが身なり
われを愛せよ
われを敬(けい)せよ」
とても素晴らしい詩です。
私たちの先祖を辿っていくと、両親で2人、これを1代とします。2代で4人、3代で8人、4代で16人、・・・20代で104万8576人、30代で10億7374万1824人です。
私たちのルーツは天文学的数字に支えられています。これだけの先祖の知恵が自分の血に流れていると思えば、やる気ひとつであらゆる能力を開花できそうです。また別の角度で、これだけの先祖が自分の人生を応援してくれていると思うことも励みになります。
大事なことは、「自分から思う」こと。「自分から思いを馳せる」ことです。やまびこと同じで自分から投げかけなければ何も反応しないのが世の常です。ご先祖からの応援も、知恵の拝借も、つねにご先祖を思うことで、そして確信をすることでエネルギーが湧き、本当に現世でもあらゆる人間関係を通して自分のもとに降り立ちます。
これはオカルトな話ではありません。ご先祖があの世から助け船を出してくれるという話ではなく、自分のやる気という名の潜在能力を発揮するのに、ご先祖に想いを馳せることがこの上なく有効という話です。
自分はご先祖の代表であることに感謝と誇りを持てば、生きる勇気が備わります。現実と戦うのは無論、自分であり、現実と戦えるのも自分だけです。その胸中にご先祖を背負う覚悟をもつかどうかは人それぞれです。
父親や母親が配偶者や子どもを背負って、仕事に精を出すのと同じです。勝手に思いを馳せ、その人たちを背負い、その人たちの分まで頑張ろうとする姿勢が自分を強くし、賢くしてくれると個人的には思います。
最近は言わなくなりましたが、昭和の時代は「故郷へ錦(にしき)を飾る」とか「上京して一旗揚げる」などと言われることがありました。そんな人たちは、故郷を背負って上京し、夢に挑まれたことと思います。そして一握りの人は本当に実現を果たされたと思います。ソフトバンクの孫社長ともなれば、故郷を飛び越え日本や時代を背負って現在も活躍されています。
どのレベル(規模)を背負うかは、人それぞれですが、くり返しになります。大事なことは「自分から思う」ことです。この世は鏡の法則が働いていて、「自分から思う」ことが自分に跳ね返ります。短期で跳ね返らなくても、長期で跳ね返るというのが実際です。
命の尊さは自分だけを見つめてもわからないかもしれません。自分の能力や才能も同様です。そんなときは己(おの)がご先祖を想い、ご先祖のために喝を入れ、ご先祖のために休憩し、ご先祖のために遊べば、ふと見えてくることがあるかもしれません。つまり自分のやりたいことが浮き彫りになり、素直になれる瞬間が訪れるかもしれないということです。
「先祖に顔向けができない」という言葉もありますが、悪いことをしないという抑止だけなく、自分の命や人生をめいっぱい自分や周りのために花を咲かせる勢い・前向きさに転化していきたいものです。
嫌なことから遠ざかり、嫌な人から遠ざかる。そしてめいっぱい遊び、きちんと休憩をとる、睡眠をとる。すべてが自分の命(人生・生活)を大切にする行為で、即ち、先祖を大切にすることにつながると思います。
「父母(ちちはは)も
その父母(ちちはは)も
わが身なり
われを愛せよ
われを敬(けい)せよ」
私たちはもっと自分を愛し、自分を敬ってもいいと言ってくれています。逆説ですが、自分を敬愛できているから、ときに自己犠牲をいとわず他者を助けることができるのではないでしょうか。ご先祖への感謝が、自分を敬愛せしめます。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。