心の戦士!~心が前向きになる言葉~

どんなときでも心を晴れやかに!→ 心の戦士いざ参上!

人前で緊張しなくなる方法1

ティーブン・R・コヴィー 著『完訳 7つの習慣~人格主義の回復~』は有名です。その7つの習慣のうち、第一の習慣は? と聞かれすぐにお答えできる人は何割くらいいるでしょうか?

 

第一の習慣は「主体性を発揮する」です。

 

第一にもってきているということは、7つの習慣の中でも一番土台になる習慣、ということだと思います。

 

さて本記事のテーマは「人前で緊張しなくなる方法」です。

何を隠そう、私も人前に出るだけで緊張する根っからの小心者です。小学生のころから大学を卒業するまでずっとそうでした。ですので極力人前に出ることを避けてきたと思いますが、それでも出ないといけないときはパーフェクトで緊張し赤面したように記憶します(苦笑)

 

そんな私が少しは人前で緊張しなくなったのが30歳くらいから。それは輪番で30人くらいの前で朝礼当番をしなければならなく、場数を踏めたことが最大の理由ですが、それだけではありません。本記事でお伝えする方法を意識したことも有効と認識します。

 

ではどんな方法なのか?

それは「ている」意識をもつこと。

 

あなたが聴衆の前でスピーチをするところを想像してください。

おそらく「見られている」意識をもつと思います。これが場慣れしな人にはきついのです。もともと緊張しない人はいくら見られようとどこ吹く風ですが、緊張体質の人がこれを食らうとひとたまりもありません。それでも場慣れすれば、見られることに慣れるため緊張は和らぎますが、場慣れしない人向けに本記事は進めます。

 

先のスティーブン・R・コヴィー 博士は人生に「主体性」の発揮を重んじました。人前でのスピーチに置き替えると、聴衆に向かって「ている」意識をもつことが「主体性」の発揮と私は捉えます。

 

「見られている」状態とは聴衆が「主」であなたが「従」の状態、劣勢です。この劣勢感が緊張を生むと考えます。なので1対1の場面でもあなたが劣勢に立たされれば緊張は発生するのだと思います。(例えば1対1での社長面接など)

 

元局アナの人が「人前で緊張しない方法」として「面接官と応募者」の例を出されます。新卒でも転職でもどちらでもいいのですが、わかりやすい例として新卒の学生と面接官をご想像ください。緊張するとしたらどちら側でしょうか? 学生ですよね。なぜでしょう? 学生は評価される側、面接官は評価する側だからです。つまり評価される側は緊張し、する側は緊張しないということ。この作用に習い その元局アナの人は、あなたが聴衆を評価する気持ちになれば、緊張は感じなくなると言われます。

 

元局アナの人の「評価する」と私の「ている」は同じ意味合いです。いずれにしても「主」はあなた、「従」は聴衆という位置関係が重要です。これまでの記事でも申し上げましたが、何事においても気持ちで負けないことが大切です。気持ちで負けないことと、上から目線になることはまったく意を異にします。

 

自分に自信をもち、さまざまな場面で自分を「主」、相手を「従」に(心の中で)位置付けることは相手を誠実さで包み込む一歩目で、素地で、土台です。プロのお笑い芸人や漫才師、講師等を見てください。みな自分が「主」で 聴取が「従」という位置づけで聴衆を目的の方向に導いてませんか? 

 

もちろん本当に上から目線で相手を下に見る人もいますので、人しだいではありますが、大事なことは自分が「従」で相手が「主」の位置関係は決してあなたを幸福とせず、無論相手も幸福を感じません。現実を見ればわかります。初対面の自己紹介時に相手が終始緊張し、愛想笑いや苦笑いで取り繕われたら、あなたはどう感じますか?

舞台上の漫才師が緊張しまくり、ネタはおもしろいのに表情や演技が固すぎキレがない場合、あなたは純粋に笑えますか?

 

逆にあなたが「主」で相手が「従」の位置関係は、あなたしだいであなたを幸福にし、その幸福が相手にも反射します。その反射を相手や聴衆は求めます。あなたしだいとは、あなたが相手を相手が求める感情(愛、やさしさ、ユーモア、勇気等)に導くときです。

 

ですから、人前で話しをするときもあなたが「主」で聴衆が「従」の位置関係で、あなたが聴衆を聴衆が求める感情(愛、やさしさ、ユーモア、勇気等)に導くことが大切です。

 

おさらいします。

あなたは人前に立ち、まず聴衆を「かぼちゃ」や「じゃがいも」みたく捉え、評価するかのとごとく「る」。「ている」意識をもつことで気持ち面で「主」が醸成、緊張が解かれ あなたの言いたいことが自然と平常心でいえる素地が作られます。

 

次回は視線の「る」「ている」意識に加え、別の観点から緊張しなくなる法を探ります。

 

ちなみに「あたなが聴衆を聴衆の求める感情に導く」法は、本記事のタイトルと離れますので別の機会で扱わせていただきます。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。