心の戦士!~心が前向きになる言葉~

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「ハロー効果」

「人は最初に良いイメージを抱いたものに対し、その後も良いイメージを持ち続ける傾向がある」

 

それを行動経済学用語で「ハロー効果」といいます。「ハロー」は神様の絵などでバックに描かれる後光を指し、そこから用いられています。

 

「ハロー効果」を唱えた人物はアメリカの心理学者 エドワード・ソーンダイク(1874-1949)で、プロスペクト理論を唱えたダニエル・カーネマンらが取り上げたことが認知のきっかけと言われます。

 

さて、この「ハロー効果」ですが、さまざまなシーンで使われていることで有名です。代表的なところで、爽やかな印象のアスリートやスポーツ選手、有名人がCMキャラクターになっている商品などです。

 

その商品の機能や中身よりも、CMキャラクターの好感度に引きずられて、"商品もいいに違いない"などと、勝手に思い込んでしまう点です。

 

その他にも、イチロー選手のような偉業を成し遂げた選手や、ノーベル賞を受賞した科学者などは、偉業の印象が強すぎて、仮に人間性に「?」なところが感じられても、多少のことは吹き飛び、最初の印象の方に収斂されるケースです。

 

その人の第一印象が強ければ強いほど、その他の要素もその第一印象の方に勝手に同調される傾向が「ハロー効果」です。「一事が万事」ではないですが、第一印象が悪く映れば、「おそらく仕事もできないだろう」とか、「家族仲も不仲に違いない」など、頭では(違うと)わかっていても、勝手に結び付けてしまう点は誰しも起こり得ます。

 

もちろんすべて人やすべてのケースが当てはまるわけではありませんが、あくまで「ハロー効果」というのは、傾向として現存することは認められるところだと思います。

 

本日は、その「ハロー効果」について。

 

結論、「ハロー効果」は情報量の少ないところに存在するということです。そして私たちの日常は、ほとんどが情報量の少ないところで生活することが多く、それゆえ、第一印象に気をつけないといけないという注意が起こります。言い方を替えれば、第一印象に気遣えば「ハロー効果」を味方にでき、その後の生活を自分の望む方に、円滑に進められる可能性が高くなるということです。

 

「情報量の少ないところ」というのは、一言で言えばさまざまな「出会い」のことです。初対面はどうしてもその人の見た目が、印象の8割以上をもたらします。そこで清潔感のある印象と、そうでない印象では、「その後のやりとり」がメインであっても、気分的に最初の印象が引きずられ、メインのやり取りも最初の印象に収斂されてしまいます。結果、最初の印象が良ければそちらの方に、悪ければそちらの方にとなりかねません。そうであるならば、最初の印象をよくするにこしたことがないと言えます。

 

しかし「同期入社の同僚」はどうでしょう? 今は4月でちょうどその時期ですが、毎日のように顔を合わせ、毎日のように共通の話題(仕事の話)があるのが同期です。会う頻度も、話す頻度も多いとなれば、日ごとに情報量が多くなるわけで、その分最初の印象が塗り替えられる可能性が出てきます。

 

結婚と離婚などは典型例ではないでしょうか。"同棲して初めてその人のことがわかった" とはよく言われます。

 

今後に情報量が多くなる間柄であれば、最初の印象は自分の望む方に塗り替えられる可能性は高まりますが、情報量の少ない場面で「何かのやりとり」をしないといけない場合は、ぜひ第一印象に気をつけなければいけません。

 

そして極めつけは、最初に申し上げたように、私たちの日常のほとんどの出会いは、情報量の少ないところに訪れます。店員との会話、電話やメールの問い合わせ、ZOOM面談、〇〇パーティーの参加、等々。

 

第一印象を決めるのは「見た目」「表情」「話し方」「ふるまい」「書き方」などです。「毎日が本番」ではないですが、毎回の一挙手一投足を「相手からどう思われるか」を意識して過ごすのも、「1日(今日)への気合い」という意味では刺激的になるのではないでしょうか。なぜならその「1日」が明日や未来を左右するかもしれないからです。

 

また逆に、自分が判断する側に立った際は「自分は"ハロー効果"の影響を受けてはいないだろうか?」と自問自答し、冷静になる必要が出てくることも忘れてはいけません。

 

「ハロー効果」

なかなか奥が深い"効果"ですが、「人生は出会いで決まる」と言われますから、少しでもそれを味方につけ、逆に騙されず、自分の幸せに有効活用したいものです。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

お勧めで意外な「休憩法」

物事を処理するうえで、タスク管理やTO DOリスト、時間活用法など、さまざまな用語が使われます。タイムアロケーションという言葉もあります。

 

いずれにしても1日を有効活用するには、休憩をうまく活用し、脳科学的にも最適な方法でやりくりしたいものです。そこで本記事では、休憩や気分転換に意外に有効と思われる方法を紹介します。

 

それが「どうせやろうと思っていたことやること」です。

 

これは前回・前々回と立て続けにご紹介した山口真由さんがお勧めされる方法です。

 

私自身も日頃から自然とこの方法を取っていて、とても有効に感じているため、あなたにも参考になればと思い、紹介します。

 

まずスマホ等のメモ帳に「隙間時間にできること」を入力しておきます。また隙間時間でなくても、外出時や自宅時など、場所別にも書き留めておきます。そして普段からそのメモ帳を見る癖をつけておきます。

 

そして何かに疲れてきたときや、気分転換を図りたいとき、小休憩のときなどに、そのメモ帳に載っているリストをサクサクやっていきます。一例で掃除や買い物、軽作業や雑務などです。

 

わざわざ集中がのっているときにやることでもないことが対象です。その対象は人によってさまざまで、仕事かプライベートかによっても変わります。

 

実は脳科学的には、休憩というのは身体を休めることや、仮眠、散歩などだけが適するわけではありません。受験生で言えば、国語や数学、英語など科目を変えればそれじたいが休憩になります。それと同じで、身体を休めることだけにとらわれず、一見 傍から見れば休憩になっていないことも、当の本人は気分転換になっていることは多々あります。

 

逆に体を休めたり、散歩をすることが、実は気分転換になっていない場合もあります。休憩時も「心の持ちよう」ということです。

 

私事でいえば、家計簿や写真(画像)の整理、副業で申告する交通費の整理などがあります。だいたいExcelで処理することが多いのですが、それらはちょっとした隙間時間に終わらせられます。どうせしないといけないことは、気分転換に活用するというのが効率的です。

 

この「どうせやろうと思っていたことやること」のいいところは、スッキリとした気分を味わえる点にあります。それまで行っていたタスクから離れた気分転換と、別のタスクを処理できた達成感、この両者を合わせられるところに時間効率の旨味が訪れます。

 

最後に山口さんのお言葉です。

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そこで、わたしが実践しているおすすめの方法を紹介しましょう。それは、なにかの合間の気分転換に、そんな「どうせやろうと思っていたこと」をやることです。

 

「それって休憩になるの?」

 

そう思われるかもしれませんが、じつは「どうせやろうと思っていたこと」を放置しておくことほど、ストレスを溜めるものはありません。逆に、そんな用事を仕事や勉強の合間にさっさと片づけてしまうと、心がすっきりして、とても良い気分転換になりますよ。

 

しばらく連絡していなかった実家に、ちょっと電話を入れるだけでいいのです。友達と雑談するのも良いのですが、そんなときこそ「やろうと思っていたこと」を片づける絶好のチャンス。そして、気分良く仕事や勉強に戻っていきましょう。

 

(山口真由著「賢い頭をつくる黄金のルール」より抜粋)

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 傍目より自分の心が主人公です。一般的に言われることや、世間が行っていることに惑わされず、自分が満足する休憩法を追求することが一番良い方法だと思います。

 

お勧めで意外な「休憩法」

A. どうせやろうと思っていたことやること

 

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「勉強ができる人」とは?

人生を謳歌するための一つに「勉強」があります。ときどき趣味を聞かれて、日本史や世界史と答えたり、資格の取得を趣味と言われる方もいらっしゃいます。

 

前回の記事「理解の秘訣」で、東大を首席で卒業された山口真由さんを紹介しました。彼女が自身の著書「賢い頭をつくる黄金のルール(2019年6月発売)」で、「勉強ができる人」を明確に語っている項があります。「勉強ができる人」とはいったいどんな人なのでしょうか? それが「自分の勉強法を確立している人」です。

 

一見「?」となりますが、彼女は幼少のころから読書が身近で、読む、書く、聞く、話す、の中で「読む」が一番得意とのこと。そこで「読む」ことをベースとした勉強法を自分で編み出し、成績を伸ばしてきました。ところがあるとき成績が伸び悩みます。そこでこれまでの「7回読み勉強法」を止め、応用問題を解くスタイルに変えてみたところ、成績が見事に停滞どころか急降下してしまいました。そのとき彼女は思ったそうです。

 

「勉強法は、命綱のようなものかもしれない」

 

いくら自分の勉強法で停滞しようとも、自分に向かない方法に変えることは危険なこと、それよりも軸は同じく、アレンジや改善で停滞を打破する方法を模索することが大事と言われます。

 

命綱というのは、登山で崖から落ちても、命綱がその人の命を守ってくれます。しかし命綱を手放せば、自分の命の保障はなくなります。

 

私は社会人のため、受験生のようにガムシャラに勉強に打ち込むことはありません。しかし社会人でも勉強をする人はします。そのときに朝型と夜型、紙媒体とデジタル媒体、自宅とカフェ・・など勉強のバリエーションは選べます。また休憩をいつ挟むのか、休憩は何をするのか、1日のごほうびを何にするのか等のちょっとしたことも工夫しだいでパフォーマンスは変わります。

 

自分の勉強法やライフスタイルが確立されていなければ、一本芯が通らないため、コンスタントな継続が難しくなります。確立さえしていれば、継続が可能だったものを、みすみす逃してしまうのはもったいないことです。私が当ブログの記事を書くときも、仕事日のランチタイム(昼休憩)と決まっています。ランチタイムは正味40分ですが、限られた時間だからこそ身が入ります。

 

山の頂上は一つでも、登り方は人それぞれ。ルートもペースも服装も人数も・・何もかも人それぞれです。自分に合った方法で、その中で自分に合う方法を追求すれば、それが一番楽で長続きします。そうすれば自然と結果もついてくるのではないでしょうか。

 

「勉強ができる人」とは?

A. 自分の勉強法を確立している人

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

参考記事

president.jp

「理解」の秘訣

新しいことを学ぶにも、新しいことに挑戦するにも、その対象を理解することから始まります。勉強だけでなく、仕事も趣味も、人間関係も・・です。

 

ではどうしたら物事を理解できるようになるでしょうか? 特に一見難しそうな対象なら、なおさらです。

 

それは「反復」です。「回数」です。そう語るのは東大法学部の在学中に司法試験だけでなく、国家公務員1種に合格し、同大学を首席で卒業した山口真由さんです。最近は討論番組をはじめ、各種メディアへの露出度も高いためあなたもご存じかもしれません。1983年生まれとのことなので、現在は37歳くらいでしょう。

 

そんな彼女が勉強の分野だけでなく、活字が絡むあらゆる媒体を理解するのに「反復」がカギを握ると強調されます。私が読んだ書籍は「賢い頭をつくる黄金のルール(2019年6月発売)」ですが、それ以前から「東大首席が教える超速「7回読み」勉強法」等で言われています。

 

彼女ですら難しい分野や苦手な分野は7回読まなければクリアに理解できないと言われるため、私などの凡人が1回や2回読んで匙を投げてはそれ以降がないのは当然です。

 

彼女のこの「反復」「回数」を語る論で斬新なのは、"繰り返し読まずして理解しようとすること自体がおこがましい"と言われている気がする点です。

 

しかしケースによっては「他の人は1回で理解できるのに、自分は1回で理解できない」ということもあるでしょう。そこだけみれば、"やっぱりあの人より自分は理解力がない"とか"あの人より自分は読解力がない"と判断してしまいます。しかし山口さんはそれも「幼少のころから振り返り、現在に至って読んできた量(回数)が生んだ差」と捉えられます。

 

つまり理解力や読解力は、これまで積み上げてきた読書量がモノを言う世界で、「今現在に理解力があると思われる人は、これまでの積み上げがあるからこそ」という見方です。

 

彼女自身も幼少のころから読書に親しみ、これまでずっと読書から離れたことがない生活を送られたみたいですが、そんな圧倒的な読書量を誇る彼女が受験勉強では7回読みを中心に据えていたわけです。私などはその倍の15回は読まなくては作者の意図がつかめるわけはありません。

 

読書量に裏打ちのある彼女が、7回読んでようやく見えてくる世界が東大などの入試問題なわけで、1回や2回読んだだけでは、彼女は合格できなかったかもしれません。だから彼女は「努力」を謳い、「天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある」という著書も出されています。

 

この考え方は私たちにとても勇気をもたらしてくれます。なぜなら私たちが何か新しい挑戦をする際に、「反復してなんぼ、回数を重ねてなんぼ」とハナから前提にできるからです。そして今後に何かの資料や記事を読んで理解できなくても、繰り返し5回・10回・15回と回数を重ねれば、どこかで理解できると思えるからです。逆に繰り返さないと理解できるわけがないと腹を括れるほどです。

 

私たちは人と比較することに何の意味も生まれません。なぜなら突破することだけが意味を持つからです。自分の道に立ちはだかるちょっとした壁、それを乗り越えることだけがすべてなのに、そこに他人の入る余地があるでしょうか。仮にその壁を誰かが乗り越えた形跡があっても、自分が乗り越えなければ意味がありません。そう考えれば、他人は味方で他人に協力を仰ぐことの方が得策であることがわかります。

 

話が脱線しましたが、自分の今日に(自分の道に)理解できない対象が現れた場合は、常に「反復」「回数」を意識し、7回まで繰り返すことを前提に、「反復」「回数」が理解をもたらすことを念頭に対峙すべきと考えます。

 

私も理解力があると思ったことは一度もなく、逆に理解力・読解力は人より劣ると思って生きてきました。その理由が彼女の話を聞いてようやくわかりました。それは幼少のころからまったく本や活字に触れてこなかったからです。今はこうやって記事を書いていますが、私が読書を始めたのは大学1年生からです。それまで童話や絵本すら読んだことがなく、みんなが知っているシンデレラや赤ずきんちゃん、浦島太郎も知りません。また夏目漱石などの文学作品もまったく知りません。こんな人間が人と同じ読解力であるわけがありません。

 

また、「理解」というのは、活字だけに限りません。彼女は特に触れていませんが、新しい体験や人間関係も同様と考えます。1回や2回だけでその対象(人)の全体像がわかるわけはなく、無論、面白みも味わい深さもわからないでしょう。

 

それでも1回しか体験できないことが多々あることも事実です。その際は、回数が重ねられないことを前提に、よりいっそう注意してその物事に取り組めばいいと思います。また繰り返し反復できる対象は、5回10回と繰り返すことを前提にすれば、「そんじょそこらであきらめる」ということも減らせると思います。そして減らせた分だけ人生が充実すると思います。

 

"7回目で初めて意味が理解できた"

 

そんな光が「反復」「回数」の世界で存在することは、私たちに勇気と希望をもたらします。そしてできるだけ「反復」「回数」に意味をもたせるため、いろいろな角度からその対象を見ようとする姿勢は大事になることも付け加えておきます。

 

「理解」の秘訣

 それは「反復」「回数」を重ねること。

 

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

参考記事

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"こだわり"の重要性「魔裟斗VS佐藤嘉洋」

前回の記事『"こだわり"の重要性「武尊VSレオナ・ペタス」』はいかがでしたでしょうか? 本日はそのつづきです。

 

実は先日の「武尊VSレオナ・ペタス」戦を観て、私は「K-1 WORLD MAX2008」準決勝のカード「魔裟斗VS佐藤嘉洋」戦を強く思い出しました。私が知るK-1の全試合(カード)の中で、最も興奮をもたらしてくれたのが「魔裟斗VS佐藤嘉洋」戦で、それには劣るものの、いい線をいっていたというのが本音です。

 

もともとどこかのタイミングで「魔裟斗VS佐藤嘉洋」戦を紹介したかったため、この機会にお届けするのが筋と思い紹介します。

 

あなたが当時に「K-1 WORLD MAX」をご覧になっていれば、真新しい情報ではありませんが、そうでないなら、ぜひ「当時:カリスマ魔裟斗、現在:レジェンド魔裟斗」の戦いざまをお目に入れていただければと思います。

 

本記事の主題は「"こだわり"の重要性」です。

 

魔裟斗佐藤嘉洋は、あきらかに佐藤の方が身体的に有利です。身長面、リーチ面どちらもです。これは先日の武尊とレオナ・ペタスといっしょです。しかし武尊と同様、魔裟斗の気迫が身体面の不利さを凌駕しました。武尊と最も違う点は、魔裟斗はまさかのダウンを取られた点です。武尊は始終圧倒しましたが、魔裟斗はダウンを取られたばかりに、採点では圧倒され、ダウンを取り返さなければ通常は"負け"となります。

 

しかし魔裟斗はダウンを取られても、なお俄然とアグレッシブさを保ち、前へ前へパンチを繰り出します。最後まであきらめない気持ちが体を突き動かしました。

 

一方 佐藤はそんな魔裟斗にこう思ったはずです。"なぜ倒れてもそんなに攻めてくるのか⁉"と。ダウンを取った3R(最終R)中盤からゴングが鳴るまで、魔裟斗のアグレッシブさに追い立てられ、とうとう肉体的にも精神的にも疲れたように見受けられ、結果は引き分け。延長Rもやや魔裟斗の手数が上回り、最終的に魔裟斗が勝利し決勝戦に進みました。

 

佐藤ファンや一部の視聴者の方には、魔裟斗贔屓(びいき)の判定と思われたかもしれません。しかし私的には、やはりダウンは取り返せなかったものの、手数やアグレッシブさで、引き分けの判定は妥当だと思いますし、延長Rも紛れもなく魔裟斗の方が積極性に分がありました。間違いなくK-1の歴史上でもっとも熱い戦いを刻んでくれたと思います。

 

準決勝や決勝ともなれば、正直どちらも実力伯仲です。あとは体力と気持ちの問題です。佐藤選手は魔裟斗と戦うまでは、K-1での優勝経験がありませんでした。一方魔裟斗は2003年に王者に君臨するも、2004年~2007年まで王者に返り咲けず、2008年がラストチャンスと言われていました。

 

もともとK-1自体は、日本発足ですが、アンディ・フグやピーターアーツなど、世界の猛者たちのKO劇が魅力で流行ったものです。K-1worldMAXはそれよりも階級が下のミドル級やライト級で、正直魔裟斗あっての大会で、魔裟斗がいなければここまで人気は博さなかったはずです。その主役である魔裟斗が2003年に1回だけ王座に就いただけで、それ以降は就いておらず、今後も就けないとなれば、MAXの人気は翳りをともなってしかるべきです。つまりは2008年に魔裟斗が王座に返り咲くか否かは、MAXの人気維持ひいては存続にも影響を及ぼす一線だったということです。

 

そのような背景を心中におさめながら、個人としてもどうしても王座に返りつきたい魔裟斗は一心でハードなトレーニングを積みました。その意地とハードさが試合での気迫に昇華されたのだと思います。佐藤も佐藤で、ムエタイ仕込みの、パンチ・キック・ひざで、コツコツ相手にヒットさせるスタイルは、一発ドカーンという派手さはないものの、王座に就けるレベルを十分に担保していました。しかし実際に試合で見事にダウンを取ったものの、不死鳥のように前に出る魔裟斗の姿に、もう一枚気合いが足りなかったように思います。"気合い"というのは、"どうしても・・"という執念までの"こだわり"です。

 

最終的にはダウンを取ろうが取られまいが、指先一本の(勝利への)"こだわり"、"執念"が、勝敗を分かち、その象徴的な試合が「魔裟斗VS佐藤嘉洋」戦だと思います。

 

ついでに佐藤を破った魔裟斗が決勝に進み、決勝の相手はアルトゥール・キシェンコというパンチ力が強みの実力選手でした。ここでも魔裟斗はダウンを取られます。そしてダウンを取り返すことなく、佐藤戦と同じように前へ前へとアグレッシブに手数を繰り出し、なんとか判定で勝利をもぎとりました。

 

結局 準決勝・決勝と、ダウンを取られながらも、なんとか手数で勝利に導いた魔裟斗の戦いざまは、勝利(王座)への"こだわり""執念"がまじまじと現われた証だったと思います。

 

格闘技と私たちの現実世界をいっしょに捉える人は少ないですが、「一念 岩をも通す」ということわざがあるように、"こだわり"や"執念"が成就に導くことは、ないことはありません。少なくとも行動した分だけ現実が変わることは確かで、行動を起こす原動力は、ある域を超えれば、当人の"こだわり""執念"が左右することは間違いないでしょう。

 

自分は何に"こだわる"ことが、自分の自信につながるのか?

自分は何に"こだわる"ことが、自分の納得と満足につながるのか?

 

そんな深い自己分析がすべての始まりだと思います。

『"こだわり"の重要性「魔裟斗VS佐藤嘉洋」』

 

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本日も最後までお読みいただきありがとうござました。

 

参考動画

準決勝(魔裟斗VS佐藤嘉洋


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決勝(魔裟斗VSアルトゥール・キシェンコ


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"こだわり"の重要性「武尊VSレオナ・ペタス」

5日前に格闘技界(K-1)に一種の激震が起こりました。K-1で3階級制覇を果たし、現スーパーフェザー級王者 武尊がKrush同級王者・レオナ・ペタスを2R KOで打ち破ったからです。

 

武尊はプロになってからは無敗を貫き、レオナ・ペタスは過去に何度か敗戦はあるもの直近は9連勝中と波に乗ります。3月28日(日)の試合前までは、各メディアはこぞって話題に取り上げ、理由は武尊が RISE世界フェザー級王者 那須川天心との試合を見据えていたこと、そしてレオナ・ペタスがこれまでの挑戦者と毛色が違っていたためです。

 

毛色が違うというのは、武尊に比べ、身長が高いことや腕(リーチ)が長いこと、石の拳と言われるハードパンチャーであることです。同じような背丈やタイプでしたら、武尊に分があることはK-1をご存じの方でしたらだいたいわかります。しかし今回はタイプが違っただけに、さすがの武尊も負けるのではないか、とそわそわしました。

 

そして武尊が負ければ、おそらく那須川天心との夢の対決は実現しないことになります。今回の「武尊 VS レオナ・ペタス」戦は、天心ファンにとっても見物の一番でした。

ちなみに那須川天心といえば、2018年の大晦日に行われた ボクシング5階級王者・フロイド・メイウェザーの対戦相手だった人物です。そうです、あの那須川天心です。

 

天心も武尊と同様、メイウェザー戦を除けば無敗を貫き、2014年のプロデビュー以降、数々の王座を獲得、現在はRISE世界フェザー級王座に立っています。

 

話を「武尊VSレオナ・ペタス戦」に戻しましょう。今回の両者はリーチ差が7センチと身体上は完全にレオナに分がありました。しかし1Rから両者はローキックで牽制し合うも、武尊がこまめに間合いを縮め、得意の接近戦にもちこみます。そして打ち合いとなるや、うまい具合に左フックのカウンターが入り、レオナは後頭部からきれいにダウン。そのダウンを引きずり、2Rも打ち合いでKOされ、試合は終了。

 

本記事で申し上げたいことは何なのか?

 

それは(勝利への)"こだわり"の重要性です。打ち合いでも武尊は何度か硬いパンチをもらい、のけぞる場面も見られました。しかし前へ攻めていく姿勢が半端なく、レオナは圧を感じざるを得なく、受け身な打ち合いを余儀なくされました。

 

試合前からレオナはダウン覚悟で打ち合うと宣言していましたが、実際のリング状では、私の目からは気迫で武尊が圧倒していたように思います。

 

同じ「パンチをもらう」でも、積極的と消極的ではダメージはまったく違います。武尊の接近戦での打ち合いは、いつも打たれることを前提に向かいます。相手としては当たっているのに前に出てパンチを繰り出してくるのですから、たまったものではありません。実際にレオナは試合後に、武尊選手の印象を聞かれ"強かった"と認めています。

 

私は武尊選手以外のK-1の試合もこまめに観ていますし、武尊選手の試合はほぼ全試合を観ていますが、プレイだけでなく、舌戦や記者へのコメントも含め、武尊選手ほど勝利への"こだわり"を感じさせる人はいません。

 

"こだわり"の重要性

 

私たちの日常においても、自分を自分足らしめる、何かしらの"こだわり"をもって生きることが、自信形成ならびに他者との比較から解放される術(すべ)になります。

 

"こだわり”がその人を突き動かし、ときに人生を決定づかせます。傍からわかる"こだわり"なら、人からの評価や印象はその"こだわり"をもってなされると思います。

 

今一度、自分は何にこだわっているのか、何にこだわりたいのかを整理し、それが人生の価値観ですので、その価値観を大切に、人生の根本に据え、自分を満足させることから、他者への思いやりを育みたいところです。

 

私も毎日"こだわり"をもって5年以上、いや10年以上でしょうか、続けていることが何種類かあります。その"こだわり"は、人から見ればどうでもいいことだと思います。しかし私は人の人生を生きているわけではなく、自分を生きています。よって日に新たに、同じことを継続しています。

 

この自分の"こだわり"を貫くことのメリットは、一見、普段はわかりにくいですが、なんと人生の逆境や苦境のときに、大いに発揮されます。

 

"こだわり"習慣が、萎えた心を復活させてくれます。

"こだわり"習慣が、落ちた心を持ち上げてくれます。

"こだわり"習慣が、病んだ心を晴れ晴れとさせてくれます。

 

いい意味での「自分は自分でしかない」という割り切りが、その"こだわり"から湧いて出ます。

 

"こだわり"の重要性

 

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

参考動画

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孤独感が和らぐ「ノスタルジー」

アメリカ・シカゴ大学のカチオポーロ博士らの研究によると、孤独の状態が続くと、新しく脳細胞を生み出す脳内ホルモンの生産が減り、また、他の脳内ホルモンや神経伝達物質も減少することがわかりました。このことから「孤独は人を不幸にする」と言われたりします。

 

しかし傍から見て孤独だと思っても、当の本人はさほど孤独を抱いていないケースもあります。よってここでは「孤独感」と言い換えて進めます。

 

大人数でいても、友達と戯れていても、孤独感や疎外感を感じることはあります。あなたも経験済みだと思います。その逆に、一人で過ごしてもまったく孤独感を感じず、何かに夢中になったり没頭することもあります。

 

要は「孤独感」を抱くときに、また「孤独感」が続くときに、脳機能の低下が生まれるということです。

 

ですから私たちはSNSでもリアルでも、誰かとつながっている感覚を覚えることが大事になります。新型コロナのパンデミックにより、自宅で過ごすことが多くなった昨今、ますますネットでのつながりがニーズを増しています。

 

しかし友達や仲間、家族とのつながりが、以前はリアルで行われていたのに、コロナ等の関係により、ネット上に移行せざるをえなくなったというだけでは、大した話ではありません。むしろ当たり前の話です。また、リアルで会ったこともない人とSNSで繋がれることも、コロナ以前からの話です。

 

本日は、友達や仲間、家族とのつながり以外で、孤独感を緩和させる方法についてお伝えします。それは「ノスタルジーに浸ることです。ノスタルジーとはフランス語で、英語では「ノスタルジア」、和訳は「懐かしむこと・懐かしさ」です。

 

私は独身で、休日も平日のため、友達とわいわいするという機会は日常にほとんどありません。それでも数人の友達と定期的に会ったり、コロナ以前は、仕事仲間と仕事上がりに飲みに行くことは多々ありました(私はお酒は飲みませんが・・)。おそらく孤独感を紛らわしたく、そうしていたのでしょう。人は多かれ少なかれ、孤独に耐えられない生き物で、それが先の実験で明らかになっています。

 

さて、「ノスタルジーに浸ることですが、2020年にラトガーズ大学が発表した研究によると、「ノスタルジーに浸ることで、孤独によるネガティブな影響が和らぐことが確認されました。しかし実験はオンラインのみであること、また科学的な根拠までは行き着かず、あくまで傾向止まりであることから、信憑性は担保されていません。

 

ではなぜ私は本記事を記しているのか?

 

それは私自身が「ノスタルジーに浸る体験から、孤独感が緩和されている感覚を覚えているからです。

 

ふと懐かしい匂いを嗅いだとき

ふと懐かしい曲を聴いたとき、

ふと懐かしい人が話題にのぼったとき、

懐かしい写真を見たとき、

懐かしい場所を訪れたとき、

懐かしい行為(遊び)をしたとき、

・・・

 

「ノスタルジーに浸ります。

その時の感情は脳も心も洗い流されている感覚で、間違いなく癒されています。また、以前の記事で紹介した「Awe(オウ)体験」という、大自然を目の当たりにしたときも同様に感じます。

 

海をぼんやり眺めているとき、

大空を眺めているとき、

見晴らしのいい景色を眺めているとき、

美しい夕日を眺めているとき、

広大な景色や美しい景色に出会ったとき、

・・・

 

同じく脳と心が洗われます。

 

孤独感を和らげる目的でも、脳と心を洗い流し、気分をリフレッシュする目的でも、ぜひ積極的に「ノスタルジー浸ること、「Awe(オウ)体験」を行ってみることをお勧めします。

 

「Awe(オウ)体験」の記事でも書きましたが、私は美しい風景写真集でもそれを感じます。海外の広大な海、見晴らしのいい道々、山とお花が綺麗に並んだ風景、広大な空、美しい夕焼け・・などです。

 

家にいながら大自然に思いを馳せられる時間は、私にとって非常に貴重な時間になっています。もちろん写真集でなくても、画像でも動画でも何でもいいと思います。大事なことは自分の気持ちが癒される行為を実践することです。

 

「ノスタルジーに浸ることで、孤独が和らぐのは、過去の懐かしい思い出と、気持ちでつながっているからだと思います。「Awe(オウ)体験」で気持ちが癒されるのは、大自然と人の生命が母体でつながりあっているからだと思います。

 

「ノスタルジーに浸ることと感覚と近い言葉に「感傷にふける」があります。どの言葉を用いてもけっこうです。懐かしい場所に赴き、どんどん感傷にふけ、気持ちを洗い流し、それを明日への糧にするのです。私は普段からそのようなことをし、そういった時間を大切にしています。

 

非日常時間、非日常空間が脳に刺激をもたらすことは有名ですが、「ノスタルジー」に浸る時間、「感傷にふける」時間も非日常という意味では共通です。

 

お風呂に入って体をきれいにするように、適度に「ノスタルジーに浸って脳と心を洗い流してみてはいかがでしょうか。それがいい感じの息抜きになり、多面的な視点を持つに至れば、明日への前向きさが自然に生まれてくると思います。

 

孤独感が和らぐ「ノスタルジー

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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