自然界の掟
京セラ創業者の稲盛和夫さんは、著書『誰にも負けない努力』の中で、一生懸命働くことや誰にも負けない努力をすることは、自然界に生きているものの当然の義務、最低条件であると仰っています。
それはなぜでしょうか?
他の自己啓発書には滅多にない内容だと思いますので、少し長いですが、ご著書の中の一部を下記に抜粋させていただきます。
「夏の日照りの中で道路のアフファルトの割れ目から雑草が芽を出していることがあります。おそらく一週間も日照りが続けば枯れてしまうような、あまり水分もない、土もないようなところです。自然界ではそういうたいへん過酷な環境の中でも、種が舞い落ちれば、そこで芽を出し 葉を広げ 雨が降ったときに精一杯の光合成をし、葉を太らせ 花を咲かせ 実をつけて、短い一生を終えます。また石垣の隙間、土のない石と石の間であっても雑草が芽を出し花を咲かせるのを、我々は目にします。
さらにはあの過酷な熱砂の砂漠にも、年に何回か雨が降るそうですが、雨が降った直後、たちまちにして芽を出し 葉を広げ、花を咲かせて実をつけ、わずか数週間で枯れていく。砂漠の中で精一杯生き、子孫を残すために花を咲かせ、実をつけ、その実を地表へと落とす。そうしてわずか数週間の一生を終えていく。しかしまた来年いつの日にか、雨が降ったときに発芽する。
過酷な条件の中で、植物も動物もみんなひたむきに必死で生きています。いい加減に怠けて生きている動植物はありません。その自然界のさまをみてもわかるように、地球上に住んでいる我々人間も、真面目に一生懸命に生きることが最低条件であろうと思うのです」
「創業当時の私はそういうことなど知りません。会社の経営はうまくいかないのだろうという恐怖心を抱いていました。その恐怖心から一生懸命頑張ってきたわけですが、今日を振り返ってみて、それは決して間違いではなかったと思っています。どんな不況がこようとも、どんな厳しい環境がこようとも、人一倍努力をしていくということが最低条件なのだということを、私は今でも固く信じています」
「一生懸命に働く、誰にも負けない努力をするのは、自然界に生きているものの当然の義務だと、私は思っています。その義務から逃れることはできません」
いかがでしたでしょうか?
稲盛和夫さんは、人間の特性としてよく性弱説を唱えらます。性弱説とは「性善説」「性悪説」と聞かれたときの稲盛さんの第三の答え(造語)です。
人間は放っておけば、安きに流れる弱き生き物。であるがゆえに、その都度克己心をもって意志の力を煥発する。その過程こそが「成長」であり、成長するたびに清く美しき心が形成されていく、それが稲盛さんの考えです。
もしあなたが生きるのに疲れたとき、仕事に疲れたとき、人間関係に疲れたとき、何事かで疲れたとき、以下のことを思い出し、自分を安らいでください。
・ほかの人たちも、多かれ少なかれ、時期は違えど、辛いときはある。それでもなんとかがんばって生きている。
・人間だけでなく、自然界に生きるものすべて、同様である。
自然界の動植物も、一生懸命に自分の運命を生きている。それはときに過酷で厳しい。
そのことを励みに、あなたがあなたらしく生きてくださることを今日も祈念します。
引用文献