「災難」時の心の処し方
災難にあったときに、特にその規模が大きければ大きいほど、普通の人はこう思うのではないだろうか。
"なんでおれだけ・・・"
"なんで私だけ・・・"
"もっと他にいるだろう、悪いことをしている人が・・”
等々。
稲盛和夫さんは災難にあったときの心の処し方として、以下のようにアドバイスをされます。
「生きていて災難に遭わない人はいません。それは思いもかけないときに、思いもかけない形でやってきます。そんなときに意気消沈し、絶望の淵に追い込まれるのではなく、"これだけのことで過去の業が消えたのだ" と喜び感謝する。そして新たなる一歩を踏み出す。それは人生という厳しい旅路を生き抜くための "秘中の秘" ともいえる策なのです」
稲盛さんにこのような教えを導いたのが、彼が師事していた元臨済宗妙心寺派管長の西片痰擔雪老師だったそうです。
現実で起こることには「偶然」があります。
その「偶然」がいいことであれば、問題ありませんが、悪いことだった場合は、"運が悪かった" では済ませられないときがあります。
そんなときは、現実に現実で解決しようとするのではなく、時間軸を過去世(前世)まで伸ばし、「人はみな過去の業(カルマ)を背負って今世を生きている」という風に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
輪廻転生やあの世を信じない人いはたくさんいますが、信じることで救われることも多いはず。自分に非がなくても降りかかってくる偶然は、良かれ悪しかれ過去の報いかもしれません。そうであるなら、今日の行い、明日の行い、一日一日は未来に種を撒いてているわけで、そう考えると今日という一日の価値が何倍にも膨らみます。
あなたが良かれと思って行う行為に花が咲くのは、何年も先のことかもしれません。
しかし必ずいつかは、どこかで咲くのです。桜の花が春に自然と咲くように…。
そう信じ、そう信じ切り、その歩みを止めないでください!
引用・参考文献