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許せるようになる「考え方」

よく知能指数に「IQ」が用いられ、IQの高い人を俗に"頭がいい"と言います。しかし現実社会において、IQはあまり重宝されません。業種や職種にもよりますが、そもそも社会はあまりに膨大な要素で構成されるため、その一つのIQだけを取り上げても解決しないということが根底にあります。

 

しかし大方の根底を覆(おお)う要素はあります。それが「考え方」です。

 

京セラ創業者でJAL再生にも大きく貢献された稲盛和夫さんは、自身が生み出した人生の方程式にこの「考え方」を導入します。

 

「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」

 

おもしろいことは、考え方の入力数値だけ範囲が違うことです。

 

考え方:-100~100

熱意:0~100

能力:0~100

 

考え方だけ「0」以下の「-100」まで範囲が広がります。つまりは熱意や能力が100でも、考え方がマイナスであれば、すべてマイナスに転じてしまうということ。それだけ考え方が人生や結果に大きな影響を与えるということです。

 

そもそも私たちは「考え方」しかコントロールできないともとれます。例えば上の方程式では、能力を開発するにも熱意が必要で、熱意を生み出すほとんどは「考え方」に起因します。

 

そこで本記事は「考え方」の一つ、「許せるようになる考え方」を紹介します。

 

この考え方を提唱されるのが銀座まるかん創業者で高額納税者で有名な斎藤一人さんです。一人さんは正直宗教ではありませんが、相当に神様ごとに傾倒されます。ですので、苦手意識をもたれる方も多くいらっしゃると推測します。

 

しかし本記事はそれを承知でオカルトにアレルギーを持たない方向けにお話しします。ちなみに私も神様ごとに関心のある者ではありません。まったくの否定はしませんが、あまり深入りしたくないというのが正直なところです。

 

しかしなぜそんな私が本日は紹介するかと言うと、人のストレスに「人を許せない」がどれだけ多いかを客観的にわかっているからです。人間関係のストレスは「退職」にとどまらず「自殺」にまで追い込みます。

 

それほど威力のあるストレスや悩みを、理屈で解決しようとするほうに無理があります。そこで現実世界からやや飛躍した「考え方」を取り入れれば、実はわりと自然に解決できるのでは? そう思ったからです。

 

では見ていきます。

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他人(ひと)の悪口をずーっと言っている人は、相手のことをゆるせないんだね。なぜ、ゆるせないのかというと、「その人が自分に悪いことをしたからだ」そう思ってるよね。だけど、前の人生で自分がやったことが、いま自分に返ってきているんだよ。いま、自分がやられていることは、前に自分がやったこと。

 

だから、たとえば、いま、自分の悪口を言う人がいるとする。そのときは、たとえば、こう考える。こんないやな思いを、自分も昔、誰かにさせていたんだな。そのことを、この人は自分に教えてくれた人なんだ。そうやって、相手を憎まない。ゆるしてあげるの。

 

(中略)

 

愚痴、泣き言、悪口が出るっていうことは、ゆるしてないからなんだよ。「罪を憎んで人を憎まず」と、昔から言うのは、そういう意味なんだよ。

 

そうやって、相手をゆるすと、自分の因果がゆるされる。相手をゆるすと、実は自分自身をゆるすことになる。その相手は、かつての自分。自分も前の人生で同じことをやったんだよ。

 

ともかく、前の人生で自分が蒔いた種が、いま芽を出してきているんだよ。トウガラシを蒔いたら、トウガラシが出た。それをいま収穫しているだけの話しなんだ。収穫したら、愛の種を蒔く。「愛の種を蒔く」って、ゆるすことなんだよ。

 

ゆるせない相手はかつての自分。鏡なんだよ。ともかく、相手をゆるせば、あなたは神にゆるされる。これから出てくる予定の因果を免れることができるんだ。それが因果解消なんだ。そのことだけ、覚えておいて。

 

(舛岡はなゑ著「斎藤一人 奇跡のバイブル」より抜粋)

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一人さんの言葉は、著者の舛岡さんの質問に一人さんが返答した形です。

 

私は目の前の現象に、違う次元をもってくることは、ときに大切と考えます。すなわち「なるようにしかならない」という諦観です。

 

スポーツでも試合でも、"流れ" というものがあります。そういったものは基本コントロールできず、その流れにいかに対応し、流れが変わったときに攻勢をかけられるかが戦略であり戦術です。

 

季節や天気といっしょ。抗えないものは素直に受け入れ、コントロールできることにフォーカスする、それが得策的思考です。

 

同じく人の発言や態度は抗えません。自分が愛のある言葉をかけているのに、愛のない言葉で返されるのは、もはや因果解消とみたほうが得です。自分が愛のない言葉をかけていたのなら、それはそれで納得できるでしょう。

 

一人さんの考え方は、「自分は愛のある種を蒔いているにもかかわらず・・」という前提があると思います。それならば逆に過去の悪因が解消されたわけなので、素直に受け止め、次は善果がもたらされるよう善因を蒔くことです。

 

因果とは次の2つをいいます。

 

・悪因悪果(あくいんあっか)

・善因善果(ぜんいんぜんか)

 

わざわざ神さまを持ち出さなくても、天の計らいとしてこの世に「悪因悪果・善因善果」はあるものと私は考えます。原因と結果にタイムラグが生じることも過去の記事「たらいの法則」で申し上げた通りです。

 

最後に注意点です。

 

一人さんも言われていることですが、コントロールできることはコントロールするべきということです。例えば暴力を振るわれたとか、犯罪行為を及ぼされたという場合は、ただちに法的根拠をもって訴えるべきですし、対処すべきです。

 

同様、言い返すことや主張すべきは主張すべきで、基本姿勢は「自分で対処する」ことにあります。その基本姿勢を施した後に「ゆるす」という行為があるわけで、最初から試合を降りては因果解消になりません。

 

私の考える因果解消は「やるべきことをやったにもかかわらず、それでも降りかかってくる災難」を指します。ですから反論するときは反論する、謝罪するときは謝罪する、そのような是々非々をきちん現(あらわ)し、あとは天に任せるスタンスが因果解消の成立要件に思います。

 

許せるようになる「考え方」

 

 

「前の人生で自分が蒔いた種が、いま芽を出してきているんだよ。トウガラシを蒔いたら、トウガラシが出た。それをいま収穫しているだけの話しなんだ。収穫したら、愛の種を蒔く。「愛の種を蒔く」って、ゆるすことなんだよ」

 

もう一つ。

 

「相手をゆるせば、あなたは神にゆるされる。これから出てくる予定の因果を免れることができるんだ。それが因果解消なんだ。そのことだけ、覚えておいて」

 

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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