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何をやるかより「いつ」やるか

「タイミング」の重要性を知ることは、投資をやっている人に限りません。私は人生全般に言えることだと思います。あなたはいかがお感じになりますか?

 

たとえば掃除。たとえばメール(チャット)の送信・返信。たとえばメモ。どれをとってもささいなことです。しかしそれを後回しにする人はいつもします。どうしてでしょう? いわずもがなささいなことだからです。後でやればいいからです。

 

しかしこうも考えられないでしょうか。

『一日や人生は「ささいなこと」でできている』

 

そんなに頻繁に「ささいでないこと」など起きるでしょうか。少なくとも"しがない"私の生活にそんなことは頻繁には起こりません。自慢ではありませんが「ささいなこと」で溢れています。ということは「ささいなこと」がすべてで、「ささいでないこと」のほうがむしろ考えるに値しないと思います。

 

よく仕事でも「小さなことを疎かにする人は大きな仕事もできやしない」と言われたりします。昭和の例をあげればコピー取りです。いまどきコピー取りはありませんが、私は最近ようやく仕事ができる人がどういう人かがわかってきました。それは周りに気を使える人です。フリーランスの人でも取引先から仕事を受託できなければ仕事が成り立ちません。

 

仕事とは「気配り」であるというわけです。そこで本題に戻ります。ささいなことの連続が1日で人生ならば、それをすぐに完結することが周りを安心させ、信頼を構築でき、周りの人ともうまくやっていけるコツとなります。

 

掃除一つをとっても、何かのはずみにそれを終わらせれば、掃除に対しエンジンをかけなおさなくても済みます。読書もそうです。読みたいタイミングでないと、読むのが億劫になります。何事も先に延ばしていいことなどめったにありません。

 

目の前のタスクを先延ばしにする人は、このエンジンの点火のし直しを軽視しています。または「人生がささいなことの連続で成り立っていて、ささいなことの取り扱いで現実がまったく異なる」ということに気づけていません。逆を考えたらわかりやすいです。先延ばしにすることで、周りを不安にさせ、信頼が低下し、仕事をもらえなくなる確率が上がります。

 

ここで触れておきたいのは、損失を回避したところでそこまでのリターンにはならないのではないか?という疑問についてです。先延ばしにするのはそこまでの損失にはならないとなんとなくわかっているからで、損失がわかっているものは、ちゃんと即時処理しますよ・・という状態。確かにそうかもしれません。しかし「仕事は忙しい人に頼め」と昔から言われているように、即時処理こそが一番ラクにできる魔法のテクニックであることも確かです。

 

先ほどから「即時」という言葉を使っているのは、冒頭の"タイミング"は大方「即時」が当てはまっていると思うからです。言いかえれば「記憶の新しいとき」です。メールやチャットの連絡は、例外はあれど、基本は即時が一番早く望ましいです。なぜなら人間は忘れる生き物で、うっかりをする生き物だからです。

 

また普段のささいなことの扱い(姿勢)が、大事のときの扱いをとらえます。急に姿勢を変えることはよほどのことでない限り困難です。たとえば禁煙や禁酒。病気が発覚してもやめられない人はやめられないとよく耳にします。お金持ちが1円を大事に扱う話も同様です。人間はそんなに規模により使い分けができるものではないのです。

 

そしてささいなことを即時に処理しても、特別何かのお褒めにあずることも少ないです。だから当たり前の現実に感謝の念を失わないことを幸せの指針にするのです。宝くじが当たることではなく、部長や取締役に出世することではなく、恋人ができることでもない、「トラブルに見舞われず、自分なりの小さな挑戦が今日にできる」ことこそ、唯一自分でコントロールできる最高の幸福なのです。

 

安心・平和だからこそ、自分なりの挑戦が今日にできます。何かにやきもきし、誰かに嫌われていることを何度も思い出す状態で、前向きな挑戦はできません。だから普段に即時行動、即時完結、即時謝罪、即時挨拶です。毎日この当たり前(当たり前ではないですが)の所業を繰り返すことで、ようやく自分なりに温めた小さな挑戦が今日に実行できる環境(心境)が整えられます。この環境(心境)はけっして当たり前につくれるものではありません。

 

当たり前のことは当たり前ではない。

 

一つの遅れが数珠つなぎであらゆる後れをもたらす。

 

思い立ったが吉日。その瞬間の着手が実は一番ラク

 

今日に小さな挑戦を実行することは、それ以前のタスクが処理されていないとできるものではない以上、小さな挑戦は誰しもできるものではない。その継続ともなれば、なおのこといわんやである。

 

よって何をやるかより「いつ」やるか。

 

「いつ」にこだわる人生設計は、きっと自分の心境をスッキリさせ、まわりの心境をもスッキリさせ、そこに幸運が参り込む余地ができると思います。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。