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「右肩下がり」の面白さ

前回の記事「薔薇と桜の違い」のつづきです。

 

プロ総合格闘家青木真也さんは「人生は右肩下がりになってからがおもしろい」と、「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンから退いた現在も、現役で活躍されます。その理由を見てみます。

 

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僕は2019年の5月で36歳になりますが、身体のパフォーマンスは年々落ちてきています。そのうえ、練習量も少なくなってきています。若さが失われると、圧倒的な才能やパフォーマンス、感覚だけで行けるゾーンからは抜けてしまうでしょう。そうなったときに、帳尻合わせすることになります。

 

ただ最近思うのは、圧倒的な伸びがなくなって、いまあるもので「やりくり」するようになってからが、人生はおもしろいということです。

 

「切れるカードが少なくなってからのほうが、ゲームはおもしろい」

 

格闘家やプロレスラーは、どういう技をどういうタイミングで繰り出すかを考えながら試合を組み立てていきます。「どういう入りでやろうか」「どういう距離感でやろうか」と考えて試合をやる。そこに制限がかかったほうが、断然おもしろいのです。

 

練習もそうです。量が減っても、どうやってやったら効果があるかを考えるようになってからのほうがおもしろい。その「やりくり」がたまらない。

 

やりくりでできるようになると、すごく冷静ですし、再現性も高い。そこに「理屈」が生まれるのです。理屈とは「物事の筋道」で、やはりそれはあったほうがいい。

 

青木真也著「ストロング本能」より抜粋)

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体力に任せる10代・20代より、テクニックや技術に磨きをかける30代のほうがおもしろいということでしょうか。言い方を変えれば『量が厳しくなるのなら、質を向上させることにより、「量×質」の最大化を図る』ということなのかもしれません。

 

そもそもなぜ質の追求なのか? なぜ「質×量」の最大化を図ろうとするのか?

 

やはりそれはその対象が "好き" だからでしょう。青木さんで言えば総合格闘技が "好き" なのです。その好きなことをチャンピオンになったからとか、チャンピオンから陥落したからだとか、外目の評価で進退を決めることにナンセンスさを感じるということです。

 

青木さんの人生をかけた"総合格闘技"愛がわかる箇所です。

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格闘技も、やり続けたら最強です。理由は、どんどん人がいなくなるから。

 

43歳の宇野薫という練習仲間の選手がいます。彼に「いや、ずるいよね」とよく言います。だって、43歳でこんなことやってる人間がそもそもいないわけです。40歳を超えると、まわりはどんどん辞めていくので、価値が勝手に上がっていきます。だから「やり続ける」というのは最強なのです。

 

おじいちゃんになってもやり続けていたら、グレイシー一族のように伝説になっていきます。やればやるだけ得なのです。辞めたら損だから辞めません。

 

「辞めたら損」だと言えるようなものに出会えたら幸せです。続けられるだけ、ずっとやっていればいいのです。

 

(同書より抜粋)

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以前に観たホストを特集するテレビ番組で、確か40代後半か50代の現役ホストが映し出されていました。その人にスポットを当てた番組ではなかったのですが、そのお店のPRでたまたま"そういう人もいる"ということでキャッチされていました。

 

サッカー界で言えば、言わずもがな、キング・カズ三浦知良)選手でしょう。なんと2020年現在で53歳。今年もJ1(横浜FC)で契約更新を果たしました。

 

彼はJリーグが発足した当初からもっともサッカー界で人気を誇ったスター選手で、得点を決めた後のカズダンスは今でも健在です。

 

私がこの記事を書きながら思うことは、大事なことは外目ではないということです。外目で進退を決めた瞬間から本質を見誤ります。

 

例えばチャンピオンやナンバーワンホストになったからと言って、それを誇りに次なるステージに向かったとします。しかし次なるステージでうまくいく保障はどこにもありません。歌舞伎町のホスト業界でも、ナンバーワンホストが独立したお店で繁盛した試しがないと言われます。ある動画でROLANDはその歴史を覆したいと豪語されていました。

 

結局チャンピオンベルトを巻いているか否かが本質ではなく、青木さんで言えば総合格闘技が今なお好きかどうかが本質ということです。カズ選手で言えば、サッカーのコメンテーターや解説者よりも、プレイヤーである自分を粋に感じるということ。その"粋"は年俸や人気に左右されない自分に正直になるところでようやく見えてくる代物なのでしょう。

 

栄華を極めた直後に引退し、次なるステージに向かうもよし、なお現役で続投するもよし、結局自分が "何が好きで何をしたいか" が正直なところで明確になっているかが本質ということです。

 

営業パーソンで言えば、たかだか成績が不振になったからと言って辞めていては、なんの楽しさもありません。そんなときこそ、成績(外目)など振り捨て、お客さんや会社の役に立つ視点で成績(外目)以外のプロセスに「粋」を見い出せばいいのです。

 

「自分だけのやる気スポット」

 

それは外目にはないことが大半です。

「右肩下がり」のおもしろさは外目にはわからない代物で、自分の世界観で確立していく種子のようなもの。その種子は「質」であり、技術やテクニックを

 

次回は成績不調でも続けられる考え方を、またも青木さんの話しからお届けします。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。