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夢をもつことは重荷を背負うこと

「夢をもつことは重荷を背負う​こと」

 

パナソニック創業者 松下幸之助翁はそう言ったそうです。260年もの江戸幕府を支える礎となった徳永家康公の言葉はもっと手前です。

 

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」

 

手前というのは、夢をもつこと以前に、生きることすら重荷を背負うという意味です。仏教を開祖したお釈迦様は2400年前に「生病老死」と言われ、これを四苦と呼びました。この世に生を受けた瞬間から「生きること」「病気になること」「老いること」「死ぬこと」の四苦が待ち受けるという意味です。

 

そうであるなら、生きるだけでもたいしたもので、生きることじたいが厳しいものと腹を据えなければなりません。ときどき「この世に生を受けただけでも奇跡」という人がいますが、本当にその通りだと思います。

 

腹を据えれば据えるほど、覚悟が強ければ強いほど、現実を上回る気迫が漲(みなぎ)ります。その上回る度合いが感謝と行動力、希望につながり、成功と幸福をもたらすものと私は考えます。

 

夢をもつならなおさらです。ほとんどの人は夢や目標をもちません。なんとなく仕事をし、なんとなく余暇を過ごします。それが悪いわけではなく、むしろ自然な形で、そこに夢や目標を持ち込むなら、それ相応の覚悟が必要になるということです。

 

この世のおもしろいところは、出世や成功が必ずしも幸福と直結しない点です。時代の寵児がその後もすっと輝いたでしょうか? いらしたとしてもごく少数でしょう。つまりは人間の幸福は地位や権力、資産によるものではなく、人間の心の置きどころということです。昭和の哲人と称された思想家で財団法人天風会創設者 中村天風氏は次のように喝破されました。

「どこまでもまず人間をつくれ。 それから後が経営であり、あるいはまた事業である」

 

天風氏は当時不治の病と言われた肺結核の病に侵され、名医を求め世界中を転々とする中で、インドのヨーガ哲学と出会い、心身統一法を体得したことにより見事に病を克服されました。その後も日本で銀行の頭取や企業の重役も務めるも、裸一貫、街頭で辻説法を行うに転じ、ヨーガ哲学を基とした成功哲学を広める天風会を創設されました。

 

社長に幸せがあるわけでも、会社員に幸せがあるわけでもありません。貧乏にあるわけでも、お金持ちにあるわけでも、ましてや中流階級にあるわけでもありません。あるのは「心一つの置きどころ」、天風氏は一貫してそう教え諭されました。

 

最近は好きなことや得意なこと、遊びが仕事になると時代を表されますが、潮流としては確かにそうでしょう。しかし現実問題、面倒なことやイヤなこと、やっかいなことも多々起きるわけで、それらを込み込みで楽しくおもしろく、前向きにしてくれるのは「心ひとつの置きどころ」、それに違いありません。いかに明るく前向きに調節できる「置きどころ」をもっているか、それが大事です。

 

「夢をもつことは重荷を背負う​こと」

by 松下幸之助

 

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。・・・」

by 徳永家康公

 

夢をもつことも、それ以前の生きるということも、決して身軽なものではなく、それ相応の準備覚悟が必要である、そう思う土台が、あらゆる出来事を感謝希望に変えてくれる気がします。

 

逆に夢をもつことや生きることは、元来楽しいものとしてしまうと、ペーパーテストではないですが、減点方式となり自分を追い詰めたり、途中で匙を投げてしまいやすくなります。

 

「心一つの置きどころ」も人によってどの位置が幸福に適するかは変わりますが、少なくとも私はお釈迦様の説かれる「四苦」や上記の「重荷」の構えが、前向きな思考をつくりやすい位置となっています。

 

「夢をもつことは重荷を背負う​こと」

by 松下幸之助

 

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。・・・」

by 徳永家康公

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。