"やりがい"があることの喜び
「人生の出発点は低いほどいい」と言われる方がたまにいらっしゃいます。それはずっと上を向いて生きていけるからです。なぜこのような話をするかと言うと、最近頂点を極めた格闘家の敗戦試合を解説した動画を観て、頂点を維持することの難しさを改めて知ったためです。
スポーツ選手はみな頂点を極めたいと思います。そして極められてもその維持はあまりにも険しく必ず敗戦が訪れ引退へと導かれます。ごくまれに極めたのちに自ら引退をする人もいますが、それでもその後の人生は自分で決めなければなりません。
はたして頂点を極めた人と極められなかった人で、その後の人生は違ってくるのでしょうか。私は違わないと思います。たとえ金メダルやチャンピオンベルトを手に入れられても、解説者で生計が成り立つかはわかりません。亡くなられた野村監督みたいに、現役時代はパッとしなくても、監督として芽が開く方もいらっしゃいます。
つまり頂点を極めた人はその分だけ多少のアドバンテージはあるものの、結局次なる道の実力が大半に問われます。格闘技の話に戻りますが、格闘家の中には引退後、自分のジムや道場を開かれる方がいますが、ジム経営の手腕は当時チャンピオンベルトを巻いたかどうかは関係ありません。経営センスや教え方の適性が問われるだけです。
チャンピオンや優勝、金メダルを目指す時代はそれが“やりがい"となり、それを手にできたかどうかは置き、引退後はあらたな"やりがい"を自分で作らねばなりません。ここが人生のおもしろいところともいえます。
作家の道も全く同じです。直木賞作家や芥川賞作家などといろいろな賞がありますが、賞を取ったあとにパッとしない人はごまんといます。歌手やミュージシャンもまったく同様です。
私のような会社員も一つの会社でパッとしなくても、フリーランスで芽が開くかもしれませんし、転職先でうまくいくかもしれません。人生100年時代は言い換えれば自分で"やりがい"を育てられるかどうかが問われる時代です。そのためにお金や時給を追いかけた方がいいのか、それとも給料は下がっても好きな仕事に就いたほうがいいのか、また、結婚した方がいいのか独身の方がいいのか、あらゆる選択がそれ(やりがい)につながります。
逆説かもしれませんが、私は"やりがい"を育てられる人は、ジョブズの名言にあるように「点に集中する」ことだと思います。つまり目の前のやりたいことに勇気を出して突入する生き方です。後先のことを考えず今に熱狂して生きることが実は"やりがい"を継続できる秘訣に思います。
逆に後先のことを考えて堅実な道を歩むと"やりがい"と無縁になる可能性を帯びます。私がこのブログを続けているのも私にとっての"やりがい"だからで、収益のことを考えて書きたくもない記事を書けば、収入増になったとしてもイヤになることは間違いありません。
収入のために心をすり減らす時代は終わりを告げています。誰もそんな人や姿を見たくありません。一時はいいかもしれませんが、人生100年時代にあまりにもふさわしくありません。
いまがみじめでも、何かにコンプレックスをもっていても、それは出発点が低いだけで、喜ばしいことです。きっと必ずそれは克服でき、克服した後も克服したことを武器に"やりがい"の羽をその分だけ広げられます。希望があることは"やりがい"です。ずっと前を向いて歩けます。
栄華を極めた人に凋落は起こり得ますが、ずっと前を向く人に凋落はありません。生きがいややりがいは健康にも影響します。さまざまに考えても、"やりがい"をもって(それもいくつももって)歩く人が一番人生を楽しめると思います。
出発点は低くてもよく、いまなお低くてもいい。そう思って前を向いて歩く自分を褒めてあげてください。
"やりがい"があることの喜び
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