「大切」にしたものが残る
1979年にノーベル平和賞を受賞したマザーテレサは言いました。
「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです」
人間関係でも表面的な付き合いは一過性に終わります。よく言われることに、成功者になった途端に人が集まり、凋落すれば波が引くようにスーといなくなると。しかし心を込めて付き合えば、凋落しても助けてくれる人は残ると思います。なぜなら心の付き合いは励まし合いと助け合いで成り立っていて、凋落したときこそ(友達や仲間の)出番だからです。
さて、マザーテレサの有名な言葉「心を込める」ですが、「大切にする」とも言い換えられます。どちらの言葉を使ってもけっこうですが、日頃から自分は何を大切に生きるかを問うこと、そして実行することは実はとても重要なことだと思います。なぜなら最後に残るのは「大切にしたもの」だけだからです。
友人を大切にしたのなら友人が、お金を大切にしたのならお金が、家族を大切にしたのなら家族が残ります。どれも大切にしたのならどれも残ります。
私はこのことをどこかで知ったとき、とても心に響いたのを覚えています。"本当にその通りだな"・・と。あなたはいかが思いますか? 部下にこき使い、家族にエラそーにし、お金だけを拵(こしら)えた社長は臨終のときに何が残るでしょうか? おそらくお金だけではないでしょうか。しかし周りの人を大切にし、家族を大切にした人は、臨終のときも家族が泣き、お葬式にもたくさんの参列者が悲しんでくれることでしょう。
ということは、生きている現在と臨終のときは「心を込める」と「残る」でつながっていると言えます。今に心を込めたものは、臨終のときに残ります。しかし臨終のときを思って今を生きている人は少ないでしょう。ではどうしたらいいか?
「今日の夜に死ぬ」と思って、今日を生きればいいと思います。なぜなら本当に人はいつ死ぬかわからないからです。ある人がこんなことを言っていました。「家を出るときは必ず整理整頓して、誰に見られても恥ずかしくないようにしている」と。理由は家を出たその日に帰らぬ人となる可能性があるからです。だからその人は(故人ですが)「毎日」実行されたそうです。まさに「習慣化」。
「今日の夜、眠りについたときがこの世の最後」と思って生きることは、自分が本当に大切にしていることを浮き彫りにするメリットが備わります。思わぬ一言を言われたときも、"ま、いいか"と受け流せるかもしれません。ちょっとした誘いにも付き合えるかもしれません。家族にやさしい言葉を投げかけられるかもしれません。自分の価値観を明確化できるとも言えますし、優先順位を変えるきっかけとなるかもしれません。
ただし、先のお金しか残らなかった社長の事例に戻りますが、お金を大切にし、最後はお金だけが残ればいいと考えること自体、いいも悪いもありません。それでいいと割り切るならそれでいいのだと思います。参列者がまったくいなく、家族にも見捨てられることは、ふつうに思えば望ましくない状態ですが本人がそれでいいと思うならそれが価値観の明確化です。
マザーテレサの偉大な面は、貧しい人たちへの愛と祈りに心を込めたことです。修道女としてただ単純に祈ったふりをしたのではなく、本当に貧しい人たちと一体となり、心を潤すべく同じ気持ちに浸(ひた)ったのです。心を込めなければ人の心は開きません。人の心に響きません。彼女はかくも偉大でした。
私たちにできることは、自分が死ぬときに何を残したいかを問うこと、それをきちんと今日に実行することです。ある人が毎日整理整頓をして家を出ることを実行したように。そのために今晩眠りにつくときに死ぬと想うことが、リアルにそれを呼び覚ましてくれると思います。
「大切」にしたものが最後に残る
「心を込めた」ものが最後に残る
最後は"いま"
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。