「主体的」に生きよう!
「主体的に生きる」と聞くと、自分が主役で、そのほかの人は脇役といったイメージを持たれる人もいるかもしれません。もしくは自分が輪の中心でいるべき など。
しかしここでの「主体的」というのは、心のありようで、自分が輪の中心でしゃべっていようがいよまいが、あなたの心がワクワクしているかどうかということ。
ワクワクしていれば、興味・関心・好きなどのアンテナが立っているため、それが表情や態度で現れ、周りはそれを察知し、あなたに話しかけたり笑顔を振るまったりするというわけです。
逆にあなたがワクワクしていなければ、アンテナの立ち具合が微妙で、それを表情や態度でごまかそうとしてもやはりぎこちなさは否めず、相手や周りも察知してしまう。
つまりあなたがワクワクしないところで頑張っても、それは周りの人に好影響を与えないばかりか、逆に "なんで来てるのかな?" と訝しがられることもあるわけです。
であるならば、今までの維持してきた人間関係がそもそも偽りだったわけなので、それをゼロベースでリセットし、もう参加しないことです。そしてワクワクする方に素直に、勇気をもって向かっていく(参加する)ことです。
ダンサー兼社長の神田勘太朗氏は、カリスマカンタローと名乗っているだけに下記のようなことを著書で語っています。
「僕は自分が中心にならないところは好きではありません。心地よくないという言葉が適切かもしれません。カリスマを名乗っているくらいですから、注目を受けている人が違うと、それはおもしろくない。だから人の集まりに行っても"みんなあっちを見てるな" "あっ、俺じゃねえな" と思ったらスーッといなくなってしまいます。ええ、わがままなんです。ただ、自分が勝てないフィールドで勝負したって勝つことはできません。それにたいていは、いなくたってなんの問題もない。無理してその場にいたって気持ち悪くなるだけでしょう」
あなたが主体的になれるところに、あなたがあなたを立たせてあげるのです。
それが人のためにもなるならなおさらです。
引用文献