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「辛抱」とは"辛さを抱く"こと

私たちはときに「不幸」と呼べるものに遭遇します。事故なのか、病気なのか、人間関係のトラブルなのか、そのときどきによってさまざまです。

 

そんなとき、ふと頭をよぎるのが、また求められる感情が「我慢」「忍耐」「辛抱」です。本日はその中の「辛抱」を取り上げます。

 

役者の石倉三郎さんは「辛抱とは"辛さを抱く"と書く、だから辛さを抱きしめてあげればいいんだよ」と悩める人に言って聞かせたそうです。この話は、私はある本を通して知ったのですが、水道橋博士が書かれた本や磯野貴理子さんがテレビで紹介されたりもしたそうです。あなたもご存じだったかもしれません。

 

ある現実に直面しても、「受け取り方(解釈)は無限」と、生きる励ましを謳う自己啓発書はたくさんあります。人によっては気休め程度にしか思わないかもしれませんが、こと石倉さんの「辛抱」の解釈に私はこんな風に思います。

 

辛い局面(現実)それ自体を一つの「生き物」として捉え、その「生き物(辛さ)」を自分が抱きしめてあげるという形です。『「辛さ」は自分の内在化したもので、自分と同一』と思うところから迷路に入ります。そうではなく「辛さ」と自分をくっきり分けるのです。そのような分別から穏やかな感情が芽生えます。

 

「辛抱」との出会いも一期一会です。出会いたくないと思われるかもしれませんが、出会わなくては見いだせない宝物(財産)も眠っているはずです。私をいつも励ましてくれる名言に次があります。

 

「すべての逆境には、それと同等かそれ以上に大きな恩恵の種が含まれている」

by ナポレオン・ヒル成功哲学の祖)

 

私は投資もやっていますが、未来にその株価が上がるかどうかなど、わかるはずがありません。プロや専門家も予想はしますが、残念ながらその予想は外れまくります。当たる人の方が珍しく、当たり続けられる人となれば皆無に近いのが現状です。

 

それと同様に今現在の逆境に、どんな恩恵の種が含まれているかは、正直わかりません。しかし信じることはできます。信じることでゆくゆくに手にすることができるわけです。信じなければ、それを手にすることはできないでしょう。無視してしまうでしょう。

 

ではどうしたら自然と"信じる"ことができるのか?

 

それが石倉さんの言う「抱きしめてあげる」ことだと思います。まずは「辛さ」との出会いを受け止め、そのままだと「辛さ」という名の生き物が死滅してしまうところを、自分が救ってあげるわけです。「辛さ」を救ってあげた行為に穏やかな感情が芽生え、ゆくゆくは恩恵の種も見えてくるというイメージです。

 

くれぐれも自分と「辛さ」を混同してはいけません。「辛さ」を救ってあげられるのは、ほかならぬ「自分」という名の霊魂(氣)だけです。

 

出口の見えない袋小路にハマってしまう原因は、感情と霊魂(氣)をいっしょくたくにするからです。それでは見える恩恵も見えてきません。まずは穏やかな感情を取り戻すべく、分別することです。

 

もちろん「言うは易し行うは難し」は承知です。しかし普段から私は「集中」する練習として、マインドフルネスではないですが、雑多な感情と自分を切り離す「意識付け」を持つようにしているため、以前よりはゾーンのような集中モードに入りやすくなったと自負しています。

 

毎日のそのような「意識付け」があって、実際の「辛さ」との直面時は、なんとか「抱きしめてあげる」行為ができやすくなるものと考えます。

 

「辛抱」とは"辛さを抱く"こと

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。