心の戦士!~心が前向きになる言葉~

どんなときでも心を晴れやかに!→ 心の戦士いざ参上!

「鉄砲撃ち」の教訓

数年前に他界された、元上智大学名誉教授の渡部昇一さんが、さまざまな著書でこんな話をされています。

 

「ある人が「鉄砲撃ち」の名人に "地面に着地している小鳥と、木の枝にいる小鳥とで、どちらが鉄砲を命中させやすいか?" と聞きました。名人は答えました、 "どちらも同じ集中力を要する" と。」

 

渡部さんはこの話を引用し、キャリアップへの努力も同じであると結びつけます。平社員が課長を目指す努力も、部長を目指す努力も、はたまた社長を目指す努力も実は同じであると。

 

これはとても含蓄のある教訓です。確かに似たような教訓で「小事を疎かにする人に、大事は任せられない」と言われますし、平社員が課長を目指すのもなんだかんだ言ってたいへんです。しかし責任の重さが違うじゃないか⁉という反論もあります。そこには課長より部長の方が権限は上のため、その権限の重さが課長より部長の方がストレス減につながるという考えとペイできます。

 

責任の重さだけを言えば、アルバイトやパートが一番ありません。しかしそれがそのまま幸福度ややりがいに直結するわけではないのは周知のことで、責任感が増すほど、権限が行使できることを考えると、鉄砲撃ちの教訓は確かに納得できるところです。

 

私は人生のなかで一番幸福から遠いことは「退屈さ」だと思っています。いくら責任がない仕事でも、退屈さがもたらされる仕事は私は勘弁です。ですのでいま流行りの「FIRE」で早期リタイアできても、その後が退屈ならまったく魅力を感じません。

 

「権限のなさ」も「退屈さ」につながるストレス減です。そう考えると、努力する辛さと退屈する辛さの総量は変わらないと思います。

 

努力する辛さ + 退屈する辛さ = 辛さの総量

 

一般的に努力している辛さや努力が成果に結びつかない辛さを「辛さ」と取り上げますが、本当はそんなことはありません。退屈もやりがいのなさも十分に「辛さ」です。その証拠に挑戦しない人生は後悔の元になっています。努力する辛さを回避した分だけ、後悔につながっているということです。

 

あとから振り返ったときに"その時"の味が変わるなら、積極的にいま「努力する辛さ」を取りに行ったほうが得策です。そうしないと退屈する辛さが押し寄せ、それでもどうしようもない自分が毎日更新されます。退屈さを舐めれば舐めるほど、挑戦(努力)への一歩が高く感じ、実際にできなくなります。そうやって人生の幕を閉じ、そのとき、わかっちゃいたけど後悔の念が湧き起こるのです。

 

「鉄砲撃ち」の教訓

 

高い目標も低い目標も、達成への道のりの「努力する辛さ+退屈する辛さ」の総量は同じです。同じなら収入が多い方が儲けものですし、収入からさまざまな喜びが買えます。また後悔の量もまったく違ってくるでしょう。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。