「今日」の意義
私は「今日」という“時(とき)“を大切にしています。本日はその理由を語ります。
まず「今日」に対し、「明日」という言葉があります。「明日のために」と思い、奮起する人も多いでしょう。私は「明日」という言葉も嫌いではありませんが、「明日」を思うからこそ「今日」を意識しないといけないという考えです。
まず根底的な考えに、次の2つがあります。
・今日できなければ明日はもっとできない。
・今日できれば明日は(今日をした分だけ)楽(らく)になる。
今日やれるのにしないとどうなるか?それは明日も今日と同じ心理状態ゆえ、同様に先延ばしにする可能性が高くなります。しかしエイヤッとやったら、意外と容易いことが(肌感覚で)わかるため、明日も同様に着手できるでしょう。
あくまで可能性の問題ですが、人間は弱き生き物ゆえ、今日に逃げたら逃げた履歴が作られ、1回も2回も同じと考えてしまいます。あえてやらない日を作ったり、計画的にやらないことはその限りではありませんが、そうではなく、無駄に先延ばしにするケースはそうだと思います。
「今日は今日のためだけにあらず」
今日と明日は、近すぎて差異を感じられないかもしれません。しかし1年後や10年後と比較すれば「今日」の意義はもっと強く感じられます。つまり「機会」の話です。
中学生の頃に好きだった人に告白する機会は、1年後でしょうか?10年後でしょうか?どちらも違います。中学生の“あるタイミングのとき“です。同窓会で告白しても、目的が違ってきます。
今晩、むしょうにお寿司が食べたくなった場合、お寿司を食べるのは今晩です。明日や一週間後、一年後ではありません。
乗車中に座っていたときに、お年寄りが乗車してきました。席を譲るのは明日ではありません。“今“です。
今日にしかできないことはそうそうありません。普通は何気ない毎日を送るだけです。しかし名著「7つの習慣」の時間マトリクスの第2領域「重要だが緊急ではない」を意識すれば今日の意義が変わってきます。少しずつ時間をかけなければ成し得れない何かは「今日」にしか機会がありません。その何かを今日やれば、「明日」もそれをできる可能性が高まります。そうやって毎日コツコツ続ければ、成し得たい何かは少しずつ形になります。習慣形成などは典型例で、「今日」の数珠繋ぎで初めて成立します。
「今日は今日のためだけにあらず」
今日の手応えは明日を可能とします。明日を揺り動かします。一年後や十年後では到底できないことが今日に訪れています。私たちはタイムマシンで過去には戻れません。つまり「今日」には戻れません。それを毎日意識すれば、今日に何をしたら悔いが残らないかが自ずと見えてくるかもしれません。また今日に何をしたらそれが悔いになるのかも・・・。
一期一会は人間関係だけに使う言葉ではありません。“時(とき)“にも使います。“機会(タイミング)“にも使います。それを捉えたときに、そして捉えつづけたときに、勝手に私たちの心に幸せ(幸福感)が宿るのだと思います。
「今日」の意義
今日を捉えたものが、本当の意味で明日を捉えられます。そういう意味では勝者は毎日変わります。自分に克ち、今日を捉えた人が勝者です。
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。