意志 > 気分「2021年」
フランスの哲学者アランの言葉に、次があります。
「悲観主義は気分によるもの、楽観主義は意志によるものである」
かなり有名な言葉なので、あなたもご存じだったかもしれません。
よく"理性は感情に抗えない"とか、"意志は感情に抗えない"と言ったことが言われます。確かに現実問題、そうだと思います。しかし意志をもっと大きな括りで捉えれば、その限りではないことにも気づきます。
それは「計画」や「環境」を支配するということ。
飲酒運転がわかりやすいでしょう。
現在の罰則(5年以下の懲役又は100万円以下の罰金、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金)が施行されたのが2007年9月です。それまでの罰則はもう少し緩かったですが、それ以前に飲酒運転による罰則そのものの認識が薄かったように思います。
認識が薄かったために、飲酒運転をする人はし、何の罪もない人を最悪 死に追いやっていました。それが罰則の強化により認識も強化され、「飲酒運転をしない」という選択が定着していきました。あなたの周りでも、現在をもって、飲酒運転を軽んじている人はいないのではないでしょうか?
この罰則を基にした理性(意志)の発動こそ、本記事のテーマである「意志>気分」を言い表します。
つまりは、飲酒運転をしてしまったら理性(意志)はアルコール(感情)に勝てないわけで、その手前で手を打つことが大事となります。飲酒で言えば次の3つでしょう。
・飲酒をしない
・お店に車で行かない
・飲酒をしたら、車に乗らない
よく「犯罪はなくならない」と言われますが、なくなりはしませんが、飲酒運転に限っては、なくならないまでも、減らすことはできました。それは罰則の強化と、罰則の認識の強化によるものです。
言い方を替えれば、「飲酒運転がバレなかったときの"得"」より、「バレたときの"損"」が感情として上回ったのです。
この「感情の状態」を2021年の計画に盛り込むことを本記事は提案します。
具体的には次です。
2021年の計画を立てる際、その計画を「実行しなかったときの"損"」を痛烈に感じてみるのです。機会損失の可能性を痛烈に感じるということ。
好きな人に告白をしてフラれることより、うまくいった可能性を捨てる不甲斐なさ(機会損失)を痛烈に感じるのです。フラれたとしても、フラれた経験すらできなかった自分を痛烈に感じるのです。
このときの(飲酒運転でいう)罰則とは「後悔」に当たります。それも痛烈な「後悔」です。なぜなら1日なら1日、1年なら1年分の命が削られたにもかかわらず、手にしたものは、一方は「手応え」、一方は「後悔」だからです。
手応えか、後悔か、
それを1日単位で精査することが「計画」と「計画の修正」です。そして計画は「意志」です。意志こそ「楽観主義」を生む源泉です。
「飲酒運転をしない」という計画は意志によるもので、飲酒運転そのものを計画段階で排除できます。
それと同様、易き(悲観)に流れる感情を、計画段階で極力排除するのです。24時に寝て、朝6時に起きるのが辛いなら、22時に寝る計画を立て、夕食も2時間前倒しにする計画です。
その際に大切なことは「その計画が実行できなかったときの"損"」を明確化し、痛烈に感じることです。飲酒運転の罰則を痛烈に感じることと同じです。
追いかけるべきは、「"自分"を生きた手応え」で、ここで勘違いしてはいけないのは、遊びや娯楽を排除し、勉強や苦行を勧めるということではないということです。
「悲観主義は気分によるもの、楽観主義は意志によるものである」
なぜ楽観でいられるのか?
それは「自分」を生きているからで、「自分」を見失っていないからです。「自分」に素直で「自分」に正直だからです。
ときに「自分」を生きる際も、辛いこと、厳しいこと、緊張すること、我慢すること等が生まれます。しかしそれは不思議なことに『「自分」を生きる手応え』といううえでは、必須なのです。そのように私たちの脳はプログラミングされています。"ほどよいストレス"と言われるものです。
夢や目標を「機会」と捉え、機会損失をする"損"に臨場感をもち、「意志」の力で計画を立て、計画を随時修正する、その流れを毎日繰り返すことで、2021年を絶対的(自分)のものとしていけます。
私も2021年に熱が帯びてきました。
依然とコロナ禍が続くなか、それでも私たちの人生は止まりません。続く一方です。そして時代の変化も続く一方です。仕事の中身も外見も変わる一方です。給料も報酬も変わっていないようで、実は変わる一方です。もちろん容姿も代謝も体力も栄養バランスも、時々刻々と変わります。そうです、何一つ留まることはありません。
留まると思う人から、悲観主義に傾くのが世の常です。くれぐれも「諸行無常」の客観視を忘れずに意志(計画)の力で、気分を前向きに醸成しましょう。それが人間(万物の霊長)の特性であり価値です。
「悲観主義は気分によるもの、楽観主義は意志によるものである」
「意志」を「計画」として捉え、最後に本多静六氏の言葉をお送りします。(本多静六氏は明治32年に日本で最初の林学博士となられた方で、造園家、株式投資家の顔ももたれます。日本の「公園の父」とも言われます)
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よき人生はよき人生計画に始まる。人生計画は決して人生の自由を束縛(そくばく)するものではなく、かえってその拡大充実をはかる自由の使徒だといっても誇張ではない。計画なくして自由なしとも断ずべきである。人生計画は、向上心の充足、つまりは「努力の予定表」なのである。私が平凡愚劣の生まれつきをもって、幸福感謝の長い人生を享受し得たのも、ひとえに早くから自らの「人生計画」をたてて実行に努力してきたおかげである。
本多静六著「人生計画の立て方」より抜粋
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「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったのは、ドイツ初代宰相のビスマルクですが、先達が意志(計画)の大切さを残してくだったのなら、そのお知恵を有り難く拝借しようではありませんか。そうすることが、まずもって2021年とその先を明るく前向きにしてくれます。
意志 > 気分「2021年」
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