私の「2022年」のテーマ
私の今年のテーマは「身軽」です。部屋の断捨離から始まり、筋トレと運動をこよなく愛し、自分のやりたいことに果敢にチャレンジする、そんな一年を目指します。
最近私は思ったのですが、“いつかやろう“と思っていることは、案外どうでもよくなってしまうということです。「人生はタイミング」といったら大げさかもしれませんが、読みたい本などは典型例です。
去年の後半から少しずつ本の断捨離を始めましたが、あのときあれだけ読みたかったのに、時(とき)が過ぎればそうでもなくなっているということは何度も目の当たりにしました。この感覚を逆手に取り有効活用するのもまた良しです。それは「消費を減らす」ことです。
一瞬“欲しいな“と思っても、買い控えればだんだんそれが欲しくなくなります。貯金を目的にしたい方には有効です。それでも“欲しい“という思いがなくならなければ、それはある種「本物」ということで、逆に買って満足すればよいのだと思います。
「身軽」についてもう少し語ると、デジタル保存も意外に足かせです。私は気になった情報はさまざまに写真に納めます。いわゆるスクショ(スクリーンショット)などです。しかしデジタル保存したものを見返すことは、これまたほとんどありません。写真に納めて満足しただけという状態。これもまた「人生はタイミング」なのでしょう。物理的な保管もデジタル保管も、結局に「思いが失せる」という点では同じです。ということは、その場その場の処理(満足)が一番大事になってくるということがわかります。
欲しい本は買ってすぐ読む、観たいドラマは新作でも映画館でもすぐに観る、そうやって一回一回の衝動を可能な限りその場そのときで処理(満足)せしめる、そういう姿勢です。しかしなんでもかんでもそれをやっていては、時間もお金も足りなくなります。そこで自分の中の譲れないジャンル(テーマ)を決め、そのことに関しては「その場主義」で邁進するのです。逆に消費ではないですが、優先順位が2番以下のものには、可処分所得(時間)と相談し、決めればいいのです。
とにかく私の2022年のテーマ「身軽」は、デジタルのそれも含みます。物理空間だけスッキリさせ、デジタル空間は鈍重というのは、私の心的に「身軽」とはなりません。そうやって身も心もスッキリさせ、目の前の衝動や欲と全身で向き合いたいのです。
一日を一日で完結させ、一日にけじめをつけていく、そういう土光敏夫さんのようなライフスタイルが望ましいと考えます。昨日を引きずらず、明日を煩わない、今日は今日だけのものという姿勢は、「身軽」で初めて成し得ることと考えるからです。ちなみに土光敏夫さんの言葉は次です。
「一日の決算は一日にやる。失敗もあるであろう。しかし,昨日を悔やむこともしないし,明日を思い煩うこともしない。新たにきょうという清浄無垢な日を迎える」
土光さんは川島播磨元社長で、東京芝浦電気(東芝)を再建し経団連会長も務められた偉大な方として有名です。しかし私生活は非常に質素だったみたいで、メザシを好んで食べられたことから「メザシの土光さん」とも言われました。
「身軽」と一言で言っても、単純に重荷を外せばいいわけではなく、昨日を引きずらないとか、明日を思い煩わないといった生き方にまで波及させて捉えます。よって私はこの「一語」のテーマだけで2022年は貫けそうで、また完結はぜったいにできないため、ライフワークとして習慣付けられれば御の字と考えます。
さて、あなたの2022年のテーマはなんでしょうか?いっしょに2022年を明るく前向きに頑張っていけたらいいなと願います。
私の「2022年」のテーマ
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。