「今日は今日」
「今日は今日」
私はいつもそんな風に思い、「今日」に対峙しています。先日私はある記事でこんな言葉に出会いました。
「不幸を悲しむのは、不幸が起こってからでも遅くはない」
どなたが言ったかまでは書かれていませんでしたが、ときどき耳にする内容です。上記の言葉の言わんとすることは「起こってもいないことを恐れて何も行動しないことを、もっとも恐れるべきだ」です。
かの本田宗一郎氏もこんな言葉を残しています。
「失敗を恐れるより、 行動しないことを恐れよ」
どれも同じような意味です。私が「今日は今日」と思う心は、「今日をもったいなくさせたくない」からです。今日を無駄(無為)に過ごしたくないからです。明日嫌なことが控えていても、今日には関係ありません。
私があるとき、仕事で上司や部下と折り合いが合わず、ストレスを感じたとします。そのときにたまたまお客様から電話がかかってきました。そのお客様にそのときの不快な気持ちをぶつけていいのでしょうか? おそらくぶつける人はぶつけるでしょう。ぶつけないまでも、なんとなく感情が漏れてしまう人もいるでしょう。
しかし私は逆にそのお客様に集中することで、不快な気持ちをお客様から払拭しようと考えます。お客様といい時間を過ごすことで、その前に抱いていた不快な気持ちを"ま、いいか"と受け流そうとします。
「諸行無常」という四字熟語がありますが、私はいつも空を眺めてはそれを知ります。雲は流れ、色は変わります。つまりその瞬間はその瞬間だけのもので、昨日が良かろうが、明日が良かろうが、その逆だろうが、今日には関係ありません。時間をモノとして扱います。
良いことも悪いこともすべては雲のように過ぎ去ります。今日を大切にし、今日に快適な感情をもつことで、たとえ過ぎ去った時間が悪いものでも、感情的に良いものに変えられます。人間は感情で人生は感情で、それが生きる醍醐味です。
あとは今日をどうしたら快適なものにできるかです。それは個々により違いますが、最近科学的に言われているのが家族や友人との人間関係です。家族や友人、恋人と楽しい時間を過ごす積み重ねが、死亡率を下げるというデータです。
しかしこうも考えられます。家族や友人、恋人と楽しい時間を過ごすにも、まずは自分との関係が良好でないとそのアプローチが難しいと…。自分との関係がイマイチでも、家族や友人がそれを払拭してくれるということも、先の例のようにあるでしょう。しかし長期的に見れば、自分との折り合いがうまくいっている人がそれをモノにできている節がやはりあります。
自分との折り合いをうまくする一つの大きなポイントが、「自己管理」です。自分の決めたルールや目標をとにかく守ろうと努力します。努力は断念と同義になるときがありますが、そうであるなら、とことん積極的に断念すればいいのです。明日になれば断念したことが浮かばれます。私は何度もそんな経験をしています。
甘いものを断ちたいならとことん断つ。禁煙したいならエイヤッでタバコを捨てガムを噛む。禁酒をしたいならエイヤッで酒を捨て、ノンアルコールを楽しむ。今日に断念できれば、明日も断念できる可能性を帯びます。その積み重ねが大切で、その積み重ねの最中に達成感を感じ、前を向く希望の力が宿ります。希望の力はタダでは宿りません。やるべきことをやれた(やった)報酬が希望の実感です。
まずは「今日は今日」。今日を大切に摘み取ることで、今日と一体化でき、今日とダンスできます。明日は明日のダンスが待っています。それは明日に任せましょう。
「今日は今日」
「不幸を悲しむのは、不幸が起こってからでも遅くはない」
「失敗を恐れるより、 行動しないことを恐れよ」
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。