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この世は「使い方」が問われる

俗に「お金持ち本」といわれるものを読んでいると、こんな内容に出くわします。

 

「お金は稼ぎ方より、使い方のほうが大事」

 

あなたも一度は聞いたことがあるのではないですか? これは本当にその通りだと思います。しかし使い方の重要性は、お金だけでしょうか?私はすべてに通ずると思います。

・身体の使い方

・表情の使い方

・言葉の使い方

・睡眠の使い方

・自宅や通勤の使い方

・心・態度の使い方

・勇気や忍耐の使い方

・人間関係の使い方

・今日一日の使い方

・休日の使い方

・ツールや道具の使い方

などなど。

 

言い出したらキリがありません。つまりインプットだけで完結するものはなく、必ず出口である使い先が問われます。使い先がなければ、腸でいう便秘状態になり血液を汚します。人生も同様に感情を鬱屈させます。やはり出す行為をしてこそ感情は潤うもの。

 

ということは、感情をいろいろな種類に潤すべく、インプット業があると考えたほうが自然です。まずは使い道、使い先、使い方を考えましょう。その使い方で相手や自分の感情が変わり、人生を形づくっていきます。自分を使うという行為、それが毎日問われます。

 

ではどうしたら「使い方」を自然に考えられるようになるか?

 

おそらく「夢」です。平たく言えば「やりたいこと」です。夢ややりたいことがないと、自分を律せられません。怠惰に流れるだけでその流れを抑制できません。それほど人は弱き生き物です。京セラ創業者・稲盛和夫氏は人間の本質は「性弱説」と説きました。「性善説」や「性悪説」というより、「性弱説」と唱えたのです。彼だけではありません。さまざまな人が「人の弱さ」を論じ、誰もが痛感しているところだと思います。

 

夢や目標がその人を律してくれ、「律」が人生の感情を豊かにします。いっときは辛かったり我慢を強いられることもあるかもしれませんが、長い目で見ると間違いなく「律」は人を成長させます。

 

この世は「使い方」が問われる

 

使わなければ意味がなく、ならば「使い方」が問われるのは当然のこと。挨拶はすればいいというものではなく、「しかた」が問われます。気持ちのいい挨拶をしてこそ、相手は心地よく呼応します。

 

「使い方」を可能とする根源は、人の自律です。「律」です。「律」がなければ、使えるだけの自分がつくれません。二日酔いの人が積極的に今日を使えるでしょうか。相手を使えるでしょうか。

 

  1. まずは自律し、使えるだけの自分をつくる。
  2. 「使う」という行為は「使い方」が問われる。
  3. 「使い方」がそのまま自分に返ってくる。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。