「評論家」について
世の中に「〇〇評論家」と名乗っている人は多数にいます。最近では円安・インフレ傾向にちなみ、経済評論家がさまざまな発信、つぶやきをしています。しかし私はいつも思います。
「評論家の言い分がどれだけ正しくても、世の中は変わらない」
国や政治がどうであろうと、私の人生を変えてくれるのは私の思いと行動だけです。その思いと行動が、周りの人からのやさしさや親切につながり、友情や愛情が幸福感と変わります。
定額給付金や持続化給付金がもらえても、たかだか一時金です。瞬間は嬉しいですが、長続きはしません。ベーシック・インカムなどの構想も実現は程遠いでしょう。そんな正しいことやもっともなことは娯楽の範疇と片付け、自分のコントロール内に目を向けるべきと考えます。
私は自分を楽しませるには、新しいことに挑戦するしかないと思っています。新しいことの挑戦は、そのときは辛いです。面倒くさいです。しかしなぜかあとから振り返ると甘酸っぱくて次の挑戦をかきたててくれます。けっきょく新しいことに自分を突き放せるかどうかが人生の幸福度を決めます。新しいことといってもハードルは高くなくてもいいのです。
私でいえば、職場で使うExcelに新関数を用いてやり方をブラッシュアップしたり、会議では常に改善案を発信し対案を考えます。プライベートではお茶会や飲み会に参加し、新しい仲間を探します。外食は常に新しいところを選びます。いずれもたいしたことはありませんが、やはり(人に限らず)自ら新しい出会いを求めないと、水がよどむがごとく、心もよどみます。
新しい出会いに結果は関係ありません。結果はあとから付いてきます。大事なのは挑戦をし続ける「姿勢」にあり、「姿勢」さえあれば心はいつもハリが出ます。"自分はまだまだできる!" そう思えることが幸福感の最大のポイントです。
「評論家について」
誰かの評論は、趣味程度にたしなむにとどめ、それと自分との幸福を結びつけないことをお勧めします。「人は家族から始まり家族で終わる」と言われますが、身近な人と楽しい時間を過ごし、片一方で新しいことに挑戦する、そんな両輪が幸福感を確実なものとしてくれます。
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。