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現実は"富士山"のよう

私はときどきこんな風に思います。

 

「現実は富士山のようである」と。

 

あなたもなんとなくおわかりいただけるのではないでしょうか。距離を保ち、遠目からみる「富士山」と実際に目の当たりにする「富士山」、同じ富士山でも印象はまったく違います。

 

遠目からは美人(美男)でも、実際に付き合うと粗(あら)が見えます。もしかしたら粗のほうが目につくようになるかもしれません。

 

つまりは「実際に100%(の美点)はない」ということです。地球の7割~8割は海で、2割~3割は陸です。このような構成比で考えるなら、だいたい8:27:3を覚悟し、全ての実際をこの構成比で捉えれば、もっと人生は軽く生きられるように思います。

 

ところでなぜ私はこんなことを申すのか?

 

それは先日に次の本を読み、資格の勉強を富士山になぞらえられて語られていたからです。

 

松本雅典著『試験勉強の「壁」を超える50の言葉』(2018年6月発売)

 

著者の松本さんは司法書士試験講師で、たった5ヵ月の勉強で平成22年度司法書士試験に合格した実績をもたれます。同書のプロフィールには"5ヵ月の学習期間での合格は、現在確認されている中で最短"とあります。また司法書士試験に合格した同年に、宅建試験・行政書士試験も受験し、ともに一発合格を果たされたとのこと。

 

同書は難関資格の勉強を志す受験生への応援書となっていますが、やさしい応援ではなく、かなりの叱咤激励です。私なりの解釈でまとめれば、「生半可な気持ちで試験に合格できると思うな!心から決めたなら、人と比較せずに、孤独の中で覚悟を決めて突き進め!」、そんな一言になります。

 

50の言葉の中に、先に申し上げた富士山のくだりがあります。少し抜粋します。

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資格は、富士山みたいなもの

遠くから見ると綺麗

だけど、登り始めるとデコボコ道

引き返したくなる

でも、ここまで登ってきたことを考えると

簡単に引き返せない

引き返さずに何とか頂上まで辿り着けば

最高の眺めが待っている

(同書から抜粋)

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松本さんは次のようなことも付け加えられます。「頂上に行くまでは、まったく綺麗ではない、だから人は山全体を綺麗ではないと錯覚し、下山してしまう。しかし頂上まで登れば、景色は格別である」と。

 

 

しかし私が本記事で申し上げたいのは、松本さんの主張ではありません。松本さんの主張は、例えば司法書士試験の合格が目標なら、合格した後の目的があるため、デコボコ道でも突破する意味がそこにはあります。

 

しかし恋愛や結婚、趣味や雑多なことなら話は変わります。例えば異性でも同性でも、付き合ってみたら"性格が不一致だった"とか、麻雀に興味があって雀荘に通ってみたけど、"思ったほど面白くない" など。

 

私が本記事で申し上げたいことは、「すべては実際ベースで調整せよ」ということです。理想と実際も、遠目からの印象と実際も、なにもかも、実際以外は定かではないと括り、実際を知ることからすべては始まります。

 

そして先の地球の構成比のように、だいたい8:2(7:3)の割合で、"よし"とする人生観が人に幸せをもたらします。

 

対象と距離が近づけば近づくほど、粗が見えてきます。その粗が美点より目立つかどうか、それが調整基準です。大事なことは近づいて、またはどっぷり浸かって、粗がないことはぜったいにないということ。必ず粗は存在します。なぜならそれがこの世の成り立ちだからです。

 

逆に美点がない対象もありません。必ず美点はあるはずです。松本さんの「資格の勉強と富士山」の話しでは、「資格の勉強」という名の山に登ったとして、毎日が勉強付けで、それがデコボコ道。しかし頂上からの景色は格別。つまりは「7(デコボコ道)」:「3(合格後の希望)」だったのが、合格した瞬間「7(頂上からの景色)」:「3(デコボコ道)」になる感じです。

 

実際から離れれば、比率は「10:0」に近づきます。遠目から富士山を眺めれる分には「10:0」かもしれません。しかし果たしてそれで満足ですか?ということです。遠目から実際を知らずに「10:0」の比率を守るか、それとも粗を覚悟に実際を知りに行くか、私たちはその選択を日々に迫られます。

 

 

その選択の中で、距離を遠ざければ、粗は少なくなります。距離を近づければ、粗は多くなります。その調整がストレスマネジメントで、距離を近づけても美点が上回るなら、それは近づけていい対象です。逆に粗が上回るならそれは遠ざけなければなりません。

 

大事なことはどれだけ自分とマッチしても「7(美点):3(粗)」の構成比は否めないということです。その覚悟が大事で、最高で「8(美点):2(粗)」でしょう。

 

「美点凝視」という言葉がありますが、「8(美点):2(粗)」の構成比でも、8(美点)にフォーカスすればするほど、感覚値として「9(美点):1(粗)」にしていけるかもしれません。俗に言う「あばたもえくぼ」です。

 

そのようにすべての対象に構成比が存在することを理解し、あらゆる対象との距離間を調整する、その調整度合いが人生の幸福度合いを決めるような気がします。

 

距離を縮めても粗など存在しないと、「10:0」の構成比を前提にすることから、さまざまな不幸が始まります。柔道で最初に習うのが「受け身」であるように、「この世の実際(近い距離)に粗がないことはない」ことを最初に習ってこそ幸福の扉は開けます。

 

まとめます。

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まずはその対象の「実際」を知りたいかどうか。知りたいなら実際に知る。実際に知れば美点と粗の構成比がなんとなくわかる。美点が多いなら近づいてよし、粗が多いなら遠ざけるべし。その調整をあらゆる対象で繰り返す。

 

幸福は「8(7):2(3)」の対象を多くし、かつ美点凝視で感覚値を「9:1」に近づけることから生まれる。また同時に粗の多い対象を遠ざけることから生まれる。

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遠目も実際も「現実」です。どちらも「現実」です。「現実」は距離間で変わる。

 

「現実は"富士山"のようである」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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