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「成敗」は人生の残りカス

前回はプロ総合格闘家 青木真也さんとサイバーエージェント社長 藤田晋さんのお話しをそれぞれ引用し、「勝つことの意義」をお届けしました。

 

青木真也さんは2020年6月に「距離思考」という本を上梓され、記事ではその一部を再編集した内容で書かれていました。

 

私は記事を呼んだ後にすぐに「距離思考」を購入し、彼の世界観に触れました。私はもともと格闘技のK-1MMAと呼ばれる総合格闘技は、ブームが巻き起こった2000年代から好きでして、当時から活躍していた青木さん試合も何度と楽しませてもらいました。今でもときどき当時の試合をYouTubeで観ながらやる気をいただいています。

 

さて、「距離思考」の中身についてですが、人間関係における距離感の大切さを彼の体験から独自の視点で書かれています。一言に集約すると、べたべたと甘えた関係ではなく、お互いに刺激がもらえる関係をほどほどの距離感で付き合うことの推奨です。彼はその関係・距離感を「ファミリー」と呼び、お互いに辛いときには助け合える、まったくの孤独とは異なる適切な相互扶助の生き方を提唱します。

 

そんな話の一幕に「王座に就くか 陥落するか そんなことで人生は変わらない」という項があります。内容の一部を抜粋します。

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「チャンピオンになると人生が変わる」と言う人がいる。果たしてそうだろうか。王座に就いたからといって、僕自身に特別変わったことはなかった。そんなことで変わるほど、生きていくこと、人生というものは楽じゃない。

 

チャンピオンになろうとなるまいと、人生はそのまま続いていく。チャンピオンになったという事実よりも、そこに至るまで頑張ってきた自分、積み上げてきた歴史についてを「よくやった」と素直に評価したいと思う。

青木真也著「距離思考」より抜粋)

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私はこの話を読み、一部の講師や予備講師が思い浮かびました。せっかく志望大学に合格したのに、"勝負はこれからだ" "人生はこれからだ" とお祝いの言葉とともに気の緩みを戒める発破掛けもするのです。

 

確かに志望大学に合格しようが、格闘技でチャンピオンになろうと、喜びは束の間、あとはいつもの日常が続くだけです。

 

もちろん志望大学に合格したときや、チャンピオンになったときは、数日間は安堵や喜びに浸ることは許されていいと思います。しかしつけあがったり伸び切ってしまうと問題です。

 

そこでこんな言葉があります。

 

「成功や失敗は、人生の残りカスに過ぎない」

by 渋沢栄一(明治・大正時代の実業家)

 

あの2024年から一万円札の顔となる渋沢栄一翁の言葉です。当時におよそ500の会社の設立に関与し「日本の資本主義の父」と称される方ですが、彼はプロセスこそ人生で、成功も失敗も一喜一憂の対象ではないと言われます。

 

彼を語る記事や書籍を読みますと、彼ほど名誉欲が薄い偉人も珍しく、めったに自分の功績をひけらかすことはなかったそうです。ですので上記の言葉も彼の本心からのものでしょう。

 

前回の記事ではお二人の勝つことへのこだわりを紹介しましたが、青木さんももちろん、1回1回の勝負に全力を尽くしチャンピオンになることへの欲は否定しません。ただ"そこ"に胡坐(あぐら)をかくことのナンセンスさを語っているだけです。

 

私のこれまでの経験を振り返っても、"しあわせ" は胡坐をかいて享受できる代物ではありません。東大に合格しようが、難関資格に合格しようが、大金持ちになろうが、まばゆいほどの美人やイケメンと付き合おうが、常にそこからの取り組み、プロセスをいかに味わい、人間的成長へと昇華させられるかが、後から振り返ったときの "しあわせ" を決めるのだと思います。

 

「王座に就くか 陥落するか そんなことで人生は変わらない」

by 青木真也

 

「成功や失敗は、人生の残りカスに過ぎない」
by 渋沢栄一(明治・大正時代の実業家)

 

一時の成功に胡坐をかくことがナンセンスなら、一時の失敗に意気消沈し続けるのもまたナンセンスです。すべて「一時(いっとき)」。その瞬間から新しい時間が流れます。その新しい時間の貴重さをいかに読み取れるかが、人間的成長のバロメーターであり、気持ちの切り替えの秘訣です。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

引用・参考記事

bizgate.nikkei.co.jp