「福」を得る方法
先日いつものようにSNSを見ていたら、とても興味深い言葉に出会いました。
最初に見たときは "へぇ~" としか思わなかったのですが、あとあとも脳裏によぎり、そのたびに奥深さを感じたものですから、ぜひあなたにもシェアさせていただきたく筆をお取りします。
ある方が自身のプロフィール欄に座右の銘として載せていた言葉。
「福を得たければ福を分かち合え」
この言葉は2通りの意味に解釈できると思います。
・福を分かち合っていれば、巡り巡ってあなたにも福が訪れるようになる。
・福を分かち合うことそのものが、福を得るということ。
あなたはどちらの意味で解釈されましたか?
私は両方の意味で捉えましたが、どちらかと言えば後者の方が印象として強いです。
もう一つ「天国と地獄の長い箸」というお話しを紹介します。
各所で紹介される有名なお話しなので、あなたもご存じかもしれません。
『昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には罪人たちがずらりと並んでいます。「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと豪華な料理が山盛りにならんでいます。それなのに罪人たちは皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思ってよく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。罪人たちはその長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするがとても入りません。イライラして怒りだす者もいる。それどころか隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。
次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん料理は山海の珍味です。「極楽の人はさすがに皆、ふくよかで肌もつややかだな」と思いながらふと箸に目をやるとそれは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。「いったい地獄と極楽はどこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は「ありがとうございました。今度はお返ししますよ。あなたは何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。男は「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心しました。』(© 2015 仏教辞典から一部抜粋 仏教辞典 | 極楽の箸 )
この引用元の© 2015 仏教辞典では、このお話しを下記の具合に締めているのですが、この締めくくりの言葉がまた乙(オツ)なのです。
『同じ食事を前にしながら、一方は我が我がと傷つけ合い、もう片方は相手を思いやり互いに食事を楽しんでいる。どちらが幸せかは明白です。自分さえよければ・・では、幸せになれません。一人ぼっちになってしまいます。幸せの花は、相手(他)と自分との間に咲くからです』
最後の言葉、
「しあわせの花は相手(他)と自分との間に咲く花」
いいですよね…
あなたが福を得たいなら、今ある福をぜひ周りの人と分かち合ってください。
その瞬間、あなたは福を得られます。
そしてその瞬間に福が訪れているにもかかわらず、さらに巡り巡って福をいただけるという副産物も頂戴できるかもしれません。
・「福を得たければ福を分かち合え」
・「しあわせの花は相手(他)と自分との間に咲く花」
「福を分かち合う」といっても大げさに考える必要はありません。
要はおすそ分けの精神です。
体調(健康)管理、笑顔、気持ちのいい挨拶・・等々も十分おすそ分けの精神から派生しています。今すぐ実践できることばかりです。私もさっそく今日から今から実践します!あなたもぜひ一緒に実践してみませんか⁈
最後までお読みいただきありがとうございました。