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「主体性」の大切さがわかる至言

4月3日に、私の勤務先の新社長が、自己紹介で挨拶に来られました。私の勤務先は大手保険会社の関連会社で、社長はいつも本社からの出向者です。ですのでこれまでの社歴や配属先が話のメインとなりますが、その社長は家族や趣味の話などもされ、かれこれ15分くらいに及びました。

それはそれでいいのですが、私が印象的だったのは社長の座右の銘が次の言葉だったことです。

 

随所に主と作(な)れば、立処(りっしょ)皆真なり

 

臨済録』の中にある禅語ですが、なかなか乙なチョイスだと思いました。私もこの言葉を数年前に知って、知ったときは「主体的に生きる」ことの大切さを痛感しました。最近に思い出すことは少なかったですが、あらためて「主体性」の大切さを思い出し、本日はそのことに触れていきます。

 

随所に主と作(な)れば、立処(りっしょ)皆真なり

 

意味は「自分の置かれた場所で一生懸命努力すれば、そこに真の生き甲斐が見い出せる」です。私がこの言葉を知ったのは、元サッカー日本代表選手でキャプテンを務められた長谷部誠さんのブログを読んだときです。そのときの長谷部さんは監督から干され気味で試合に全く出させてもらえませんでした。にもかかわらず日本代表選手として試合に出なければならず、そのときの実際の(日本代表としての)試合では無難なパス回しにとどまり、本領発揮とは程遠い内容でした。当然と言えば当然で、試合勘を掴めていないため、アグレッシブな気力やバイタリティは生まれなかったのでしょう。

 

そんな彼の心境を察してか、彼が人生の先輩と称する人から次の言葉をいただいたそうです。

 

随所に主と作(な)れば、立処(りっしょ)皆真なり

 

そうです。まったく同じ言葉です。その人生の先輩は長谷部さんにこういうことを激励したかったのだと思います。

『たとえ監督から嫌われ干されても、「人は人、自分は自分」と割り切り、干された場所で「主体的」に生きることで、真実はそこに生まれる」と。『干された場所で自分なりに花を咲かせようとする姿勢に真実が宿る』と。『人の意向は変えられないが、自分の意向は変えられ、変えた分だけ幸せがそこに生まれる』と。

 

客観的に脇役でも、脇役として主体的に演じることは役者の勤めです。実際にドラマを観ても、脇役にして光ってる役者は数知れずいます。配役の問題ではなく、仕事として、人生として「主体性」を心にもてるか、ということです。

 

長谷部さんはその言葉で救われたのか、それ以降は徐々に試合勘をつかみ、日本代表キャプテンとしても立派に活躍されました。もう少しつぶさに言うと、長谷部Japanのときは、本田選手や香川選手など、海外で活躍する「個」の力がそれまで以上に結集したメンバーでした。それら「個」の華やかさを全体として咲かすには相当の気配りやリーダーシップが必要だったはず。にもかかわらず自分は干されて試合勘がつかめない、この痛い状況でやってのけられたことは、人間としての柔軟さと強靭さの両方を養わないとできるものではありません。その育み・支えが、人生の先輩からもらったこの言葉だったのかもしれません。

 

随所に主と作(な)れば、立処(りっしょ)皆真なり

 

私たちもどんな環境・状況におかれても、その場所で主体的に考え、主体的に生きることを選びましょう。ちょっとした飲み会や食事でも、せっかくの時間ですから楽しんで一体感を感じましょう。それがあきらかにできないメンツなら、最初から断るべきです。それほど時間は優に残されていません。あっという間に1年は過ぎ3年は過ぎます。

 

向こうから与えられる今日は、けっして当たり前のことではありません。いつか与えられなくなります。それが3か月後、6か月後なのかもしれません。この言葉は過去や未来に逃げず、「いま・ここ」をど真ん中で生きる大切さも幸福の観点で宿しています。「真なり」とは自分の心が幸福と感じることだと私は思います。

 

随所に主と作(な)れば、立処(りっしょ)皆真なり

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。