「空腹」≒「不幸」
俗にイヤなこと全般を「不幸」とし、不幸を「空腹」に見立てて考えてみます。あなたはこんな言葉を聞いたことはありますか?
「空腹は最高の調味料である」
この言葉はドン・キホーテの作者、ミゲル・デ・セルバンテスが言われとされますが、実際は不明です。
断食やファスティングをした人が、その後の復食に摂った「おかゆ」が"これまでのどの食事よりもおいしく感じた"と言われる話は聞いたことがないでしょうか。
それと同じで、「不幸は幸福の最上の調味料」と考えてみるのです。これまでの人生を振り返っても、実際に的を得ていると思うのですがいかがでしょうか。
私たちが嬉しかったり喜んだりするのは、普段にはない出来事だからであり、毎日のように「美人」とか「イケメン」と言われれば、都度の喜びは失せるでしょう。食事も毎日高級料理では飽きてしまいます。「美人は3日で飽きる」という言葉もあります。
物事は常にシンプルでなければ、瞬間に間に合いません。不幸(嫌なこと等)があったときは瞬間に思うのです。
「不幸は幸福の最上の調味料」
不幸がなければ幸福が味気なくなる、ありがたみが薄れるということ。そのような下地を敷くだけで、自然に前向きになれることは感謝に値します。「言葉」と「発想」の力はかくも素晴らしく、1日の積み重ねが人生なら、まさに人生を変える魔法のツールです。
「不幸は幸福の最上の調味料」
だから前向きに捉えられる。
だから前を向ける。
だから逃げようと思わなくなる。
だからあきらめようとは思わなくなる。
むりやり前向きさをつくろうとするのではなく、ごく自然にそんな気持ちにさせてくれる、その方がそよ風のごとく気持ちよく生きられます。
アスリートやプロスポーツ選手が練習で積極的に自分に負荷をかけるのは、負荷をかけた分だけ結果につながると思うからです。負荷分だけ希望を燃やせるのです。
私たちも、たとえ向こうからストレスという名の不幸(イヤなこと等)が襲ってきても、それを瞬間的に自分のモノとし、アスリートよろしく負荷に希望を燃やすのです。
粗食をおいしく感じられるのは、それまでの「空腹」が調味料となるからで、なんでもない日常にありがたみを感じられるのは「不幸」が調味料となるからです。
資産家が金にものを言わせて毎食に高級料理を食べても幸せを感じられないのはなんとも皮肉です。ブランド品を買いあさっても同様のこと。
今の状態が裕福とか貧乏とかではなく、イケメンとかブサイクとかではなく、どんな状態でも幸福は「言葉」と「発想」で創り出すものというのが、この言葉の意味するところです。
「不幸は幸福の最上の調味料」
向こうからやってくる不幸(ストレス)を、いかに積極的(前向き)に転換せしめるか、それが人間に備わった「言葉」と「発想」力です。
それを何度と体験できれば、不幸(ストレス)をありがたく感じられる日がきっとやってきます。私はまだその域には達しませんが、実際の「空腹」はその域に達しています。
私は好き好んで1日1食~2食にしていますが、もはや空腹が自分のお供です。空腹が集中力の源で、行動力の源です。そして毎日の夜ご飯が楽しみで仕方がありません。
「不幸は幸福の最上の調味料」
どれだけの調味料を蓄えられるか、それが幸福度のバロメーターです。
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。