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「生きる」ために食べる

本日は健康の根本を、言葉の力を借りて語ります。まず病気は何によってもたらされるか?です。

 

「体を温める健康法」で有名な石原結實先生は数々の著書でこう述べられます。「汚血が万病の元」。汚血とは字のごとく血液が汚れることです。では汚血の原因は?それが「食べ過ぎ」です。つまり「食べ過ぎが万病の元」というわけです。

 

私は20年前からこの考えに賛成し、20年経った今でも石原先生の主張は変わっていません。そして同調する医師が続出するばかりです。誰も食べ過ぎて問題ないと唱える医師はいないでしょう。

 

人の身長や体質、運動神経など遺伝の影響が計り知れないことは疑う人はいないと思います。それに習い、病気にかかりやすい臓器や箇所、強弱は人により違い、一様に語れません。ならば、汚血や体の冷えなど、不健康をもたらす根本を捉えることが大切で、根本に従うことが万人に健康をもたらす唯一の健康法です。

 

「生きる」ために食べる

 

本記事で私が申し上げることは、「生きる」ために食べるという食生活の根本姿勢です。食べ過ぎが汚血を招き健康を害するならば、なぜ食べ過ぎてしまうのかを考えねばなりません。それが「食べる」ことを目的とし、「生きる」ことを見失うからと考えます。飲みすぎも同様です。飲食はあくまで「生きる」ための必須条件に過ぎず、必須条件以上に過ぎれば、今度は「生きる」を害する働きに変わってしまいます。

 

太古の昔はそれがすべてでした。とにかく「生きる」ことに精一杯で、そのために狩りをし、狩りが成功すれば家族を養え、そこに団らんの生き甲斐を感じていました。今でも私たちに、人間関係の良好さが脳内ホルモン「オキシトシン」をもたらすことは、それらの営みが連綿と受け継がれている証拠です、本質はなんら変わっていません。

 

しかし食生活だけは変わりました。もう餓死や飢えを心配する人は非常に限られ、ほとんどの方は飲み食いに明け暮れられるほど豊かです。だからこそ、根本の認識が問われ、意識のあるなしに関係なく認識が乏しい人から病気になってしまいます。

 

今こそ認識をあらわにし、「生きる」ことの生き甲斐を、飲み食いだけから脱し、他のことを考えてみましょう。そして実行しましょう。それは家族や周りを巻き込まなくても、自分一人の世界でなんら問題ありません。

 

ある医師が夕食は決まったプレートに盛れるだけにし、それ以上は食べない方法をテレビで紹介していました。私はやっていませんが、とても有効な方法だと思います。どんなに美味しくてもあらかじめ量は決めておき、理性の力で食事の時間を終えるのです。

 

この終え方を容易にできるか否かは、夕食後にどんな生きがいややりがいを準備しているかに関わります。私はいつもSNSを見たり、漫画を読んだり、このブログを書いたりする時間にしています。不思議なことに夕食は夕食で楽しいですが、それが終わるや否や、別のことをし始めると、それはそれで楽しさの種類が別のことに移ります。脳は字のごとく色々な色を楽しめようになっていて、食事の色だけに埋没することはもったいありません。

 

スマホ脳」の著者、アンダース・ハンセンが仰るように、脳の構造や働きは太古の昔からなんら変わりありません。いや、太古の昔から作られたもので私たちの脳はできています。運動や人間関係が脳にもたらす影響がそれを証拠付けていて、現代社会におき、私たちはむりやりでも楽しさや生きがいを作らねばなりません。そうしなければ、安きに流れ、つまり飲み食いに埋没する生活になってしまいます。

 

最後に私はやっていませんが、食後に運動するというのは非常に脳の切り替えにお勧めです。食事の時間はめいっぱいそれで楽しみ、終わるや否や、軽い散歩に出かけるわけです。そうすると散歩は散歩で、今度は散歩の楽しさや軽やかな自分を確認する楽しさに襲われ、それはそれで“明日もがんばろう“とか、“今日という一日は本当に素晴らしかった“などと一日を終えるメンタルが勝手に醸成されると思います。ちなみに最近は食後の軽い運動は血糖値の上昇を防ぐ効果があるということで、さまざまな医師が勧め始めている健康法です。興味のある方はぜひネットで調べてみてください。

 

「生きる」ために食べる

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。