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岩崎彌太郎氏の"したたかさ"

日本の実業家で、三菱財閥の創業者、明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物とは誰でしょうか?

 

そうです。岩崎彌太郎氏です。

 

そんな岩崎彌太郎氏にこんな格言があります。

「小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ」

 

偉業を成し遂げる方(偉人)は、同じ行為でも内面の志が違うため、そこに潔さや行動力がともないます。

 

なぜ私が岩崎彌太郎氏の格言を紹介したか言うと、最近紹介したヒロミ・藤田晋さん著「小休止のすすめ」で藤田さんがそれを使われたためです。

 

藤田さんもこれまでさんざんに理不尽な目に遭い、株主から厳しい視線を浴びたりと、順風満帆な航海ではなかったようですが、そのたびにグッと我慢し、しかるべきタイミングのために準備に力を入れてこられたとのこと。そのことが載っている箇所を抜粋します。

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ビジネスにおいては、どれだけ正義がこちらにあったとしても、キレたらそこでゲームオーバーとなります。もちろん、キレる権利は双方、常に持っています。しかし、その権利を行使したら、そこでおしまい。一人負けになってしまいます。

 

稀に意図的にキレて何かを生み出せることもありますが、それは本当にレアケースです。キレて怒りや苛立ちといった感情を発散できたとしても、リターンで得られるものはほとんどありません。

 

岩崎彌太郎さんが残したとされる格言「小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ」ではありませんが、昔から商売人は頭を下げて実利を取ってきたとする逸話はいくつもあります。

 

理不尽であっても飲み込んで、受け止めて、誤ることが将来につながるなら、それでいい。サムライ気質の人は「尊厳が傷つけられた」と我慢できないかもしれませんが、ビジネスマンはそんなところでプライドを守っても仕方がないと思います。

(同書より抜粋)

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私は岩崎彌太郎氏の商売人としての"したたかさ"がとても好きです。視覚も聴覚も、すべては「脳」で処理されるため、目の前の憎たらしい相手(小僧)に頭を下げようが、実際は「金(かね)」に頭を下げた認識が、情けなさを払拭するだけでなく、逆に"しめしめ"と安上がりとすら思えるのかもしれません。

 

藤田さんが言われるように、薄っぺらいプライドで、自分の自己実現(願望実現)が遠のくならば、果たしてそのプライドは何の役に立ったというのでしょう?

 

岩崎彌太郎氏が(商売人)として「金(かね)」に頭を下げたなら、私たち凡人(一般人)は、「目標達成、自己実現、願望実現、未来の大きな自分・・・」に頭を下げ、理不尽を突破したらいいのだと思います。

 

明確なビジョンや将来への期待が"したたかさ"をつくり、したたかさの前に「情けない自分」など存在しないのです。傍目(はため)からはどう見られようと、その傍目とは一瞬で(その後付き合うことはない)、かつ脳内はビジョンへの遂行で満ち溢れる、そんな人に謝罪や頭(こうべ)を垂れることなど安上がりです。

 

ぜひ私も理不尽を前にしても、彌太郎氏を見習い、藤田さんを見習い、将来の大きな自分を取るべく、頭を下げたいと思います。キレることなく、グッと我慢したいと思います。藤田さんの言われる「切れたらそこでゲームオーバー」は、サッカー選手でいう「レッドカード」で、試合を存続させることがまずもっての確保要件。試合そのものがなくなってはお話になりません。それまでの準備が水の泡です。

 

謝罪や頭を下げると言っても、本当に自分に非がある場合は、その限りではなく、真摯に詫びなければいけません。しかしそうではなく、あきらかにフェアではない、理不尽な仕打ちには、譲れない一線を越えない限り、岩崎彌太郎氏の商売魂(金に頭を下げる行為)を思い出し "したたかさ" を覚えたいものです。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

 本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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