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雑多な情報に「納得感」

私は緩い健康オタクです。緩いと称したのはベジタリアンヴィーガン糖質制限などを常としているわけではないからです。ではどういった生活をしているか?

 

それは一日一食か二食の生活で、夜ご飯までは基本、高カカオチョコやナッツ、果物以外は糖質を摂りません。夜ご飯は、私は一人暮らしのため、スーパーのお惣菜で済ませ、デザートにパン屋で買った菓子パンを食べます。スーパーのお惣菜は、お弁当のようなものではなく、和食を中心とした三種類~五種類ほどをチョイスします。もちろん自炊をするときはしますし、主食はオートミールが多いです。

 

さて本日は「雑多な情報に納得感」です。

 

いっけん意味がわかりませんが、わかりやすい例に食生活をあげます。数年前からスーパーフードという名称で、ドラゴンフルーツやアサイーベリー、チアシードなど何十種類と話題にあがりましたが、それらを信じ摂取するも良いですし、我関せずとラーメンや焼き肉を繰り返すのも良いと思います。

 

スーパーフードを摂取したところで、健康長寿に寄与するかは本当のところわかりません。健康といっても心の健康もあるからで、苦手なものや美味しくないものを我慢して食べるのもいかがなものかと思います。

 

運動も同様です。ランニングは体に悪いという情報がある一方、数十分のランニングは健康寿命に貢献するというデータもあります。大事なことは体にいいとわかっても、それを摂取しない選択や、逆に体に悪いとわかっても摂取する選択もあってもいいのではということです。なぜなら自分だけの人生だからで、本当のところは誰にもわからないからです。

 

よくエビデンスといいますが、タバコで肺がんになる人は100%ではありません。あくまで傾向どまりで、全体を網羅するエビデンスはこの世に存在しません。最近トマトも生で食べると、炎症を起こす危険性があるという情報を耳にし、それを防ぐために皮をむいて熱するといいと言われていました。数年前にそんなことを言う人は私の記憶では誰もいませんでしたが、研究が進めばさまざまな食品でぶり返しは起こります。

 

そういったことを考えると、占いではないですが、自分の好きな食べ物にたまたま健康にいい情報があれば、それを信じて食べればいい反面、健康に悪い情報がついても、それを織り込み済みで「好きだから」の一色で食べればいいのです。もちろん止めてもかまいませんが、すべては自分の死生観における納得感が大事なだけです。

 

安月給でも夢や希望があるならそこにとどまるべきですし、高給でも不満があるなら辞めればいいのです。言い方を変えれば、心の健康も重視して、総合的に考えてどうなのかということ。私の経験では、往々に、物理的なことより精神的な中身を重視する方が後悔は少ないと思います。

 

先日紹介した投資本、「ほったらかし投資」という本に、著者の一人・山崎元さんが一括投資をすすめる件(くだり)があります。世間ではドルコスト平均法を用いて積立投資をすることが勧めらますが、山崎さんはまとまったお金があるなら即座に一括投資をする方が合理的と言われます。もう少しかみ砕きます。

 

手元に100万円があったとして、それをインデックスファンドに投資するとき、他の専門家は3回や5回、もっと多ければ10回に分けて分散的に投資をすることを勧めます。しかし将来の基準価額の動向がわからないなら、即座に一括投資をするほうが合理的というのです。将来の動向がわかるなら、基準価額が低いときを狙って一括投資をすればいいですが、わからないのがふつう、そうであるなら、遊ばせる資金が機会損失になる可能性を鑑み、すぐに100万円の全額を投資すべきという論です。

 

あなたはどう思われますか?

 

私はそれでも分散的に複数回に分けて投資をします。山崎さんがどういわれようと、一括に投じたタイミングがたまたま基準価額が高いときに当たる可能性がある以上、リスクを分散させるべく、小分けに投資をするのが無難と考えます。

 

ほんの一例ですが、専門家によってさまざまな事柄に言い分が違うのが常。誰がどうというのではなく、自分にとって納得のいく方法であれば、良し悪しに限らずそれでいいと思います。一番よくないのは納得がいっていないのに決断・実行してしまうことです。結婚もしかり、投資もしかり、何かの契約もしかりです。

 

人は人、自分は自分で「納得感」だけを頼りに判断・決断すれば、きっと後悔はないはず。だからといって安易な判断は禁物で、きちんと情報収集と取捨選択があることが条件です。

 

雑多な情報に「納得感」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。