「譲れない一線」
脳科学者の中野信子さんは著書『「嫌いっ!」の運用 』(2020年11月発売)で、「いい人」にも2種類があると言われます。
まずアメリカとカナダの研究についてです。約9000人を対象に「協調性」のテストと「収入」の関係性を調べたところ、協調性の高い人ほど収入が低いことをわかりました。この結果に対し、中野さんは収入が低い人も「いい人」だが、実は収入が高い人も「いい人」であると言われます。
どういうことか?
両者とも「いい人」に違いはないが、収入が高い人はそれに加え、本当に嫌なことにはNO!と言える要素をもつとのこと。それに対し収入の低い人は、本当に嫌なことでも自分を偽り、きちんとNO!と言えないそうです。
「本当に嫌なことにはきちんとNO!を言えるかどうか」
それが両者を分かつ要因です。
自分の嫌な感情に蓋をしていたら、それは権力者にいいように使われます。詐欺に引っかかる人や騙される人はその類かもしれません。低収入というのは自分に向いていないことにもNO!と言えず、パワハラを受けてもNO!と言えない性格なのでしょう。それでいて協調性は高いため、人のために使う時間が気づいたら多くなります。
収入を上げるためには、人より秀でたスキルを身に付けなくてはなりません。そんな自己研鑽に打ち込むためには、それ以外のさまざまなことにNO!を突き付ける必要があり、その勇気と覚悟はある種ドライなものです。協調性が高い人ほどドライな気持ちは持ちづらいでしょう。
「本当に嫌いなことにはNO!と言う」
そのような言動は、まずもって自分に素直に正直に生きる証となります。自己研鑽も自分や自分の時間を大切にする証です。そのように「自分」を好ましく運用するから、他の人への配慮も自然と育まれるのだと思います。
その逆に「自分」を好ましく運用できなければ、自分で自分を自己承認できません。さすれば他人に承認してもらわなければならなくなります。だから本当に嫌いなことにもNO!と言えなくなるのです。
ただし注意しなくてならない点があります。
それは"嫌い"を振り回してばかりではただの"わがまま"で、「いい人」とは程遠いということです。「いい人」とは清濁併せ呑む寛容さを持ち合わせます。しかしそんな寛容さにも譲れない一線があり、それが「本当に嫌いなこと」です。
その一線が訪れるまでは、基本は清濁併せ呑むスタイルで、なんとか目標や目的の遂行に漕ぎつけます。
人によって譲れない一線(本当に嫌いな事)の中身は違います。そしてその一線は逆にとても大事な一線です。なぜならその一線があって「自分」を好ましく運用でき、自己研鑽を可能とするからです。逆にそれがないから安くこき使われてもこびへつらうハメになるのです。
譲れない一線 = 本当に嫌いなこと
その一線までは清濁併せ呑むから「いい人」と映り、ある一線をもってして「いい人」が運用されます。
一線の基準が高い人ほど、さまざまなケースで角が立ちトラブルを招きます。その都度ストレスを溜めます。ストレスが自分の時間を灰色にします。自分の時間が灰色だから、周りの人の時間も灰色にしていいと思ってしまいます。・・・「いい人」とは程遠いです。
やはり幸福な人や成功者と言われる人は、周りの人に応援されるからこそ、そうなるのであって、そこには「いい人」がベースになっていることは間違いなさそうです。さまざまなことに清濁併せ呑む寛容さを持ち合わせるからこそ「いい人」と映り、その寛容さは譲れない一線を設けているからこそ生まれるもの。
権力者に翻弄されないのも、詐欺に引っかからないのも、自分の道を歩けるのも、自己研鑽に時間を費やせるのも、すべて「譲れない一線」が敷かれているおかげです。
譲れない一線を持つ「いい人」なのか、ただの根無し草の「いい人」なのか、この両者はまったく違う人生を歩みます。
本日は非常に難しいテーマを扱いました。そして冒頭で中野さんのお考えを披歴したものの、それ以降はすべて私の自論で展開しました。下の参考記事をお読みいただければ中野さんのお考えがより詳しくお知りになれます。
譲れない一線 = 本当に嫌いなこと
収入が低い人も「いい人」、収入が高い人も「いい人」、その両者を分かつものは、譲れない一線(本当に嫌いなこと)を持つかどうかにかかります。そしてそれは一朝一夕には持てません。何度も自分と向き合って、月日をかけてようやく持てるものだと思います。
あなたはいかがお感じなりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引用・参考記事