拠り所は「自分らしさ」
今回の記事は、前回の記事「ローソクの生きざま」の続編です。
前回の記事で私は「自分で自分に火をつける」生き方を尊びました。
自信喪失し崩れそうなとき、暗夜のごとく光が 希望が見えないとき、そんなときこそ、利他の精神で自分の強みややりたいことにフォーカスし、それを信念・使命感と抱くことで、俄然と力が湧くことを信ぜよ!というメッセージでした。
今回はそのメッセージをさらに後押ししてくれる先達の名言を紹介します。
"出る杭は打たれる" と言いますが、周りに同調されそうになるとき、自分が気乗りしないことに賛同を求められるときなどに思い出していただきたいです。
「絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっともすばらしい偉業である」
by ラルフ・ウォルド・エマーソン(アメリカンの思想家・作家)
自分の強みに正直になり、自分の強みで人に貢献する。自分の弱さにも正直になり、助けを求めるときはきちんと助けを求め協力を仰ぐ。そういうわかりやすい姿勢が「自分らしさ」を保持し、磨いていけるのだと思います。
しかし「自分らしさ」を発揮すれば、それに異を唱える人や反対者も出てくるでしょう。またそれを揶揄し陰口を言い、ひどくなれば徒党を組みバッシングまで始める人も出てくるかもしれません。そんなときは次の言葉を思い出してください。
「人を信じよ。しかしその百倍も自らを信じよ。時によっては信じきっていた人々に裏切られることもある。そんなとき、自分自身が強い楯であり、味方であることが絶望を克服できる唯一の道なのだ」
by 手塚治虫(漫画家)
すなわち自分しか自分を救える人はいないのだから、そんなときこそ自分を目一杯抱きしめ応援してあげてほしい。そういうメッセージが込められているのだと思います。逆に周りから認められなかったときこそ、自分で自分を認めてあげるチャンスともいえます。
ところでなぜ私が手塚さんの言葉に説得力を感じるかというと、手塚さんの人生は決して順風満帆ではなかったからです。1960年代、劇画の台頭によって時代遅れと言われ始めた手塚さんは、一時ノイローゼにかかってしまうほど過酷な精神状況に陥ります。そして、今までの手法をかなぐり捨て潮流の劇画に挑戦。模索に模索を重ね、『ブッダ』(1972年)や『シュマリ』(1974年)など青年層向け作品を発表、見事にヒットさせます。それだけではありません。青年層向け作品と同時並行で1960年代末からヒットを出せていなかった子供向け漫画も走らせ、それが『ブラック・ジャック』(1973年)や『三つ目がとおる』(1974年)でした。ご存じの通りこちらも見事にヒット。大復活を遂げられました。
先述のエマーソン(アメリカの思想家)は自分らしさを失わないことそれ自体が「成功」であると、数ある名言に響かせます。
「真理は自分の内にあり、付和雷同せず、常に自己を拠り所として生きよ」
そんな彼の信条は、哲学者ニーチェや宮沢賢治など多くの思想家や文化人に影響を与えたとされています。
誰かが見ていようといよまいと、自分は自分として自分の信条にそった行いをする。人によって己が行動を左右しない。そんな勇気を与えてくれる名言もあります。。
「ほんとうの勇気というものは、目撃者のいない場合に示される」
おしゃれと同じですね。
人の場ではおしゃれをする人は "ふつう" ですが、人の見ていないところでもおしゃれを忘れない人は数少ないです。が、そんな人こそ「ほんとうのおしゃれ」な人でしょう。人の見ていないところでもゴミを拾える人、車がまったく通っていない横断歩道でも赤信号をきちんと守る人・・・皆彼 自分の信条を大切にしています。
私は思います。いざというときに自分を信じられるかどうかは普段に自分の信条(約束事)を守れているかどうかで決まると。普段に守れていない人がいざというときだけ信じようとするのは、どだいムシがよすぎるのではないでしょうか。逆にいざというときのために普段があるといっても過言ではありません。
「人生は心ひとつの置き所。晴れてよし、曇りてよし富士の山、もとの姿はかわらざりけり」
富士山の姿は変わらないのに、晴れの日、雨の日、曇りの日によって見え方は違います。晴れの日がいい、曇りの日がいいなど、人の嗜好はさまざま。山岡鉄舟氏も幕臣でありながら明治天皇に使えましたが、それゆえに陰口もたたかれたそうです。
あなたが何かの拍子で自分の立場が変わったとして、それまでの友人が離れたり敵対したり、逆にちやほやされた場合、あなたは依然と自分を見失わずにいられますか?
周囲の反応は天気のよう。雨の日も、晴れの日も、あなたはあなたのままなはずです。
しあわせはいつなんどきでも、あなたの「らしさ」とともにあることを忘れてはいけません。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。