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すべては「プロセス」

幻冬舎社長の見城徹さんの著書のいくつかに、雀聖と言われた阿佐田哲也さんから教わった考え方が紹介されています。その考え方とは何か?

 

「すべてはプロセス」

 

私はこの考え方にとても賛同します。阿佐田さんといえば麻雀放浪記の著者として有名で、言わずも知れたギャンブル小説家です。無論、自身も雀士として伝説を作られており、体験を通じての中身に、昭和時代のギャンブラーは釘付けになりました。

 

そんな阿佐田さんに、昭和時代の見城さんは、幻冬舎で作品を出してほしい旨のアプローチをし、阿佐田さんも見城さんの魅力に応諾し、阿佐田さんの著作はベストセラーを重ねられました。

 

しかしです、当時の見城さんはすべてが順風満帆だったわけではありません。あるときひどく疲れる状況に陥り、そのときの状況を阿佐田さんに相談されました。そのときの阿佐田さんのアドバイスが「すべてはプロセス」です。

 

真意をかみ砕いてみてみましょう。「すべてはプロセス」というのは、阿佐田さん曰く、「手元に100万円があり、そのうち99万円を競馬ですってしまっても、まだ手元に1万円が残っている。その1万円がある以上、それはまだ挽回可能なプロセスである。1万円がなくなったときに初めて負けが確定するのだ」とのこと。

 

見城さんはその助言ともいうべき阿佐田哲学に、息を吹き返す思いをされたそうです。だからいくつかの著書でその件(くだり)を紹介され、今でも覚えているエピソードとされています。

 

見城さんは著書「たった一人の熱狂」でこうまとめられます。

「ビジネスにしても博打にしても、勝負は最後まで判らないのだ。勝ったから大喜びするのも愚かだし、負けが続いたからといって、「もう俺の人生はおしまいだ。自殺しよう」と悲観するのもバカらしい。(中略)一度大きな失敗をすれば、誰だって自信を失ってしまう。長いスランプに見舞われたアスリートは、どうやってスランプを克服するのか。とことん落ち込みスランプを直視し、また目標に向かって圧倒的努力をするしかないのだ。圧倒的努力は岩をも通す。」

 

見城節(ぶし)の炸裂です。

 

病気になっても怪我をしても、ある人間関係が終わっても、ピリオドが打たれるときは決まっています。それは「死」だけです。それまではすべてがプロセスで、後悔も納得も、「プロセスへの態度と実行」がそれを分かちます。いっときの、瞬間の状態がそれを分かつのではありません。その状態への態度と実行が分かつのです。なぜなら「死」以外の状態はすべてプロセスだからです。

 

私的には手持ちの100万円が0円になっても、それでもまだ「死」は訪れていません。ミクロ的には負けが確定したかもしれませんが、マクロでは確定しません。借金から大金持ちに復活した人など、世界で歴史上ごまんといます。

 

すべては「プロセス」

 

ぜひ阿佐田哲学を自分の骨身に沁み込ませましょう。今日はまだ終わっていない!、今年はまだ終わっていない!、30代は、40代は、50代は、60代は、70代はまだ終わっていない!と。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。