心の戦士!~心が前向きになる言葉~

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集中力≒俯瞰力

東京オリンピックが活況を呈しています。私もハイライトですが、毎日、日本人選手の健闘を拝見し、都度こみ上げるものを感じます。同時にどんな選手が本番に力を発揮しメダルを獲得するのか、自分なりに考えを巡らします。本日はそれについてです。

 

結論、私は「集中力」がカギだと思います。当たり前のことを申し上げているようですが、やはりメダルを獲得するような一流選手は、競技の技術はもちろん、メンタルトレーニングを極めた人たちに思います。

 

オリンピック選手に限らず、アスリートやプロスポーツ選手でも、集中力を切らす人は切らし、切らさない人は切らしません。それが明暗を分かちます。なぜ前者は切らしてしまうのか? 

 

前回の記事「継続力「心を折らせないために」」で申したように、それは「結果」を観るからではないでしょうか。いっけん悪くないように見えますが、競技中に「結果」は関係ありません。この考えを教えてくれたのが、私が高校3年生の時に読んだ数学者 秋山仁さんの著書です。本のタイトルまでは覚えていませんが、「受験勉強中に結果のことを考える者は大バカ者である」といったことが書かれていて、今でもその考え方が私の脳裏に残っています。

 

秋山さんの言わんとされることは、「志望大学に合格するかどうかなど、神のみぞ知る世界であり、そこに足を踏み入れることは、もはや冒涜の扱いである」ということです。平たく言えば、「結果は結果に任せ、今できる”現在”に集中せよ!」ということです。

 

私ごときがオリンピックやプロの世界を語れないのは百も承知ですが、あえて言わせていただくと、前回紹介した言葉が集中力を掻き立たせると思います。

 

「努力することの本当の意味は人に勝つということではなく、天から与えられた能力をどこまで発揮させるかにある」

by 平澤興(京都大学元総長)

 

自分の能力の発揮という一点に立脚すれば、自然と全体を見渡せるようになり、俯瞰から自分を「無私」に近づけられる気がします。相手や状況が見えていなければ、的外れな戦いをしかねません。逆風なのに突っ込んだり、順風なのに守ったり…と。

 

しかし大事な戦いであればあるほど結果が頭をよぎります。実はそれが相手や状況をクリアに見えなくし、環境と一体になれなくなるのだと推測します。逆に集中が全体を捉えるなら、全体を観れば「無私」が宿り、集中できるともいえます。

 

そういえば東大王というクイズ番組にレギュラー出演している伊沢拓司さんは東大の受験時に「試験開始早々、まずは教室の全体をくまなく見渡し呼吸を整えた」という話をどこかでされていました。集中を欠けば全体が曇るなら、全体から入って集中を宿すことも可能に思います。心臓がどきどきすれば、呼吸を整えて調整するように、「形から入る」ことが重要です。

 

全体は空間だけにとどまらず、時間軸を延ばすことも考えられます。集中すればするほど、子々孫々のことまで考えられるように、自然と小手先のテクニックに埋没しなくて済む思考ができあがります。古典的な知恵を沸き上がらせるのも集中のなせる業です。その証拠に金欠で常に集中を欠く人は、どうしても時間割引率が高くなり、目先の損得にしか目が行きません。逆に常に余裕がある人は、冷静に長期的な損得に目が向けられます。

 

話がやや脱線しました。

 

全体を見、遠くを見る、そうすれば自分がちっぽけな存在であると客観視でき、できるだけちっぽけな存在から能力の発揮を試みる、その姿勢や態度が「集中力」を発揮せしめる気がします。

 

集中力≒俯瞰力

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。