「視野」を広げられる名言
落ち込んだとき、落胆したとき、不快に思ったとき、やるせないとき、裏切られたとき、さびしいとき、心配にさいなまれたとき、不安でしょうがないとき、悲しいとき、辛いとき、孤独なとき・・・
私たちは往々にして視野狭窄に陥ります。そんなときは視野を広げるといいと言われます。先日紹介した大來尚順さんの言葉です。(「小さな幸せの見つけ方」より抜粋)
『私たちは下を向いて見る人工的な狭い世界で繋がっているのではなく、上を向いて見える空のような広大な世界で繋がっているのです』
『きっと宇宙から地球にいる私たちを見れば、みんな地球上の点にしか見えないでしょう。私は、人間一人ひとりがちっぽけな自分中心の価値観を中心とした世界観など捨て、みんな「宇宙から見たら点の存在」と考えられるようになれば「みんな同じ地球に暮らす人間なんだ」という共同体意識も芽生え、現在のような無益な価値観のぶつけ合いや争いごとも、少なくなるのではないかと思うのです』
本当にその通りです。さいわい私たちの現在はインターネットを通して"つながり"を意識することができます。もちろん使い方しだいにはなりますが、自分から求めるサイトやSNSにアクセスすることで、心が安らいだり、視野が拡大できることは、平成初期以前にはできなかった取り組みです。
大來さんはその項の最後に素敵な言葉をプレゼントされます。
「順境のときは足元を、逆境のときは星空を」
「順境は逆境の始まり」という人もいるくらいですから、足元を地から離さない教訓にも使えます。
その他に私がよく意識する名言に次があります。
「二、三人に嫌われても、反対を向けば一億人いる。 お前が好きな人がおっても、その人も誰かに嫌われている。 お前もいい人やと言われても、お前を嫌いな人もいっぱいる。 世の中、それで成り立ってると 」
by「佐賀のがばいばあちゃん」
佐賀のがばいばあちゃんは有名ですから、あなたもご存じだったかもしれません。しかし視野狭窄に陥ったとき、陥りそうなとき、この言葉をつぶやくだけで、自分と波長の合う人は反対を向くだけでごまんといることが客観視できます。今の自分の環境下だけで"受け止め方"や"受け入れ方"を判断しないことです。
しかし実はそのように考えると、自分にも反省や改善点の一里や二里はあることも許容できるようになります。そう、視野拡大は冷静さも伴わせてくれるのです。
大來さんが仰るように、天の視点に立ったとき、私たち人間はあまりにもちっぽけで蟻より小さい「点」にしかすぎません。あの人もこの人も「点」です。それら「点」を網羅するのが天で宇宙です。その網羅する点や宇宙と一体化できる感覚(一体感)が最上の癒しのように思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
引用・参考文献