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青年と悪魔の話

前回の記事「85歳のおばあちゃんの詩」はいかがだったでしょうか?

 

「85歳のおばあちゃんの詩」はあなたにpresentされている「今」という価値、あなただけの、あなたなりの「人生」の価値を問う内容でした。

 

今回の記事は実質その第2弾です。

私は数年前にこの「青年と悪魔の話」を読み、震えるほどの衝撃受けたのを覚えています。頭をハンマーで殴られたような感じです。それまでも何冊かは「今・ここ・自分」の価値に触れた本を読みましたが、正直パッとしませんでした。

 

この話を読んで以降も、折に触れ「今・ここ・自分」の尊さを確認する現在です。

 

この話しは中島薫さんの著書「お金の哲学」に掲載されます。中島薫さんは口コミで商品を連鎖販売するネットワークビジネスという業界の超有名人。その業界の顔とも呼べる会社にアムウェイがあり、そのアムウェイのトップディストリビューターで、今もなお現役で活躍されます。(ちなみに私はネットワークビジネスとは無縁です)

 

この話しは中島薫さんが知人から聞いた話しとのことですが、その知人もどこでそれを知ったかはうろ覚え、おそらくタクシーの乗車中ではないかと。ですが、内容が示唆に富んだためその知人はその内容を鮮明に覚えていたとのこと。以降、その知人はお金の使い方を改め、世のため人ために使うことを決意されたそうです。

 

それではその話しを下記に抜粋します。


『20歳の青年がいました。


青年はその時、人生のすべてがうまくいっていなかった。お金もないし、仕事もなかなか見つからない。そのせいで恋もうまくいかないし、楽しいことも何もない。毎日がつまらなくて、うんざりしていました。

「ああ、このまま何もなくてぱっとしないままで、自分の人生は終わっていくのかなあ」

青年がそう思ってため息をついたとき、どこからともなく悪魔が現れました。そして青年にこう言いました。
「どうだ、俺と契約をしないか?」

契約とはどういうことかと青年が尋ねると、悪魔はこう言いました。
「お前の人生のうち40年分を俺にくれ。お前は若いから、この先何十年も生きる。ひょっとしたら100歳まで生きるかもしれない。そうしたら、40年くらいは俺にくれてもいいだろう?そのかわり、1億円をお前にやろう。それで残りの人生を面白おかしく暮らすっていうのはどうだ?」

青年は考えました。
「40年か。仮に僕が80歳まで生きるとして、そこから40年を引いたら40歳が僕の寿命ということか。40歳で死ぬとしても、今が20歳だし、40歳まで20年。それだけあったら、引き換えにもらった1億円で、やりたいことが全部できるだろう。こんなつまらない人生を80年、いやもっと過ごすかもしれないことを考えたら、悪魔と契約するのもいいかもしれない」

そう思い、悪魔の提案に乗ることを決めました。そして青年はベッドに入って眠りにつきました。

次の朝、目を覚ましてから青年は昨夜のことを思い出し、不思議な気持ちになりました。
「夢だったのかな、昨日の悪魔は。変な夢を見たな」

そう独り言を言いながら起き上がりテーブルの上を見ると、何とそこには1億円がちゃんとあったのです。悪魔の言ったことは本当だったのです。そして契約も。青年は驚いて、しかし次には大喜びで踊りだしました。

「やった、やったぞ。あれは本当だったんだ!僕はこの1億円で、これからやりたいことをやりつくすんだ!」

そして青年は晴れ晴れとした気持ちで、身支度を整えようと洗面所へ行きました。そして洗面の鏡を見た瞬間、青年は驚いて叫び声をあげました。

そこに映っていたのは、60歳の老人だったのです。青年は60歳になっていたのです。悪魔が青年から持っていったのは、40歳から80歳までの40年間ではなく、20歳から60歳までの40年間だったのです。

 

青年はその場に崩れ落ち、泣き叫びました。



同じ40年でも、若い時にしかできないことは60歳の青年にはもうできません。
1億円と引き換えに、若い素晴らしい時代を悪魔は持ち去りました。

 

 

引用文献

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いかがでしたでしょうか?

この世は3次元でできていると言われます。

3次元とは「時間・空間(場所)・物体(人)」です。

 

・時間 = 今のあなたの年齢(年代)でしかできないこと。

・空間(場所) = 今のあなたの環境でしかできないこと。

・物体(人) = 今のあなたの肉体と心(関心)でしかできないこと。

 

この3点を意識して過ごすことが「後悔なき人生」を歩むということなのでしょう。

 

よく "今したいこと" を我慢し、それらをすべて定年退職後に繰り越す人がいます。この話しはそのような考えに "まった" をかける形になったのではないでしょうか。

 

いつあなたの体力に衰えがくるかわかりません。

いつあなたのその環境がなくなる(奪われる)かわかりません。

いつあなたの五体が不満足になるかわかりません。

いつあなたのその関心(興味)がなくなるかわかりません。

 

今晩お寿司が食べたいのにそれを我慢して1か月後に繰り越すケース。お寿司程度なら問題ありませんが、もっとそのほかの大きな関心事では? たとえお寿司程度でもそれが毎日のように頻度多く積み重なれば?

 

今あなたに与えられている「時間・空間(場所)・物体(人)」を総称し「今」と言わせていただくと、事あるごとに「今」の価値を意識し過ごすことで、いつかどこかのタイミングであなたの大切な "何か" がなくなる(奪われる)ようなことがあっても、きっとそこを0(ゼロ)ベースに向きに再スタートを切れます。

 

なぜなら それまでに「今」しかできないことをきちんと大切にし「形」にしてきたという自負(足跡)がそこにはあるはずだからです。機会損失を回避し、モノにしてきたという自負(足跡)です。

 

私も常に「今」を大切に生きているつもりです。そして大切にするということは上述どおり、言行一致、知行合一、行動し「形」にすることにほかなりません。

 

あなたの時間、あなたの環境、あなたの肉体と心。

それは常に有限の儚さに包まれます。

しかしその有限こそ神様からのpresent(=今)。

見失うことなく、見逃すことなく大事にありがたく摘み取ってください。そして存分に "生きていていよかった" という嬉しさを感じてください。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。